田安宗武とは
田安宗武とは、8代将軍徳川吉宗の次男で、賀茂真淵を和学御用として召し抱えた田安徳川家の初代当主です。将軍家の一員であると同時に、古典研究を支えた人物として、日本橋に残る賀茂真淵県居の跡へつながります。
賀茂真淵を和学御用に
宗武は、将軍家の後継を支える家柄として設けられた「御三卿」の一つ、田安徳川家の初代当主です。1746年、50歳の賀茂真淵を召し抱えました。真淵は1760年に退くまで、田安家で和学御用、つまり日本の古典や和歌を講じる役目を務めています。宗武の子には、後に老中として寛政の改革を進めた松平定信もいました。身分の高い人物が学者を保護するだけでなく、古典研究を実際に進める土台をつくった関係。宗武の文化面での役割が見えるでしょう。
日本橋の旧跡は「真淵の晩年」
日本橋浜町一丁目1番付近に立つ賀茂真淵県居の跡の説明板は、真淵が田安家を退いた後の足跡を伝えています。中央区によると、真淵は1764年、現在の日本橋久松町7〜10番の東側付近に百坪の土地を借り、簡素な住まいを建てて「縣居」と名づけました。ここで晩年の著述に取り組んでいます。説明板が立つ場所と県居があった場所は、久松町から浜町にかけての同じ一帯です。したがって、この旧跡は宗武の屋敷跡ではありません。この場所でたどれるのは、宗武が支えた学者の、その後の歩み。将軍家と日本橋の文化史を結ぶ一例です。
日本橋トピック♪『万葉集』百首の注釈を真淵に依頼
國學院大學が公開する『万葉新採百首解』は、宗武の命を受けた真淵が『万葉集』から短歌百首を選び、解説を加えた書物です。二人の関係から、支援が具体的な研究成果へ結びついたことがわかります。
関連用語
田安宗武に関するよくある質問
- 田安宗武と松平定信はどのような関係ですか?
- 親子です。寛政の改革を進めたことで知られる松平定信は、田安宗武の子で、8代将軍徳川吉宗の孫にあたります。
- 田安徳川家は大名家ですか?
- 田安徳川家は、将軍家の後継を支える「御三卿」の一つです。宗武が初代当主を務めました。

