両国橋西広小路とは
両国橋西広小路とは、両国橋の西詰、現在の中央区東日本橋二丁目にあった広小路です。「りょうごくばしにしひろこうじ」と読み、明暦の大火後に延焼を防ぐため設けられた空間から、江戸有数の盛り場へ発展した場所です。
資料上の関連表記:両国広小路
火除地から見世物と飲食の盛り場へ
1657年の明暦の大火後、江戸では火が燃え広がるのを防ぐため、道幅を広く取った広小路が整備されます。両国橋西詰の広小路もその一つで、出発点は建物を密集させない防火のための余白。
やがて広い空間には見世物小屋や芝居小屋、飲食の店が集まり、人が行き交うにぎわいの場へ。中央区立図書館の町名変遷図では、両国橋西広小路は新柳町・吉川町、両国を経て、東日本橋へつながりました。
「両国」と聞くとJR両国駅周辺を思い浮かべますが、ここでいう西広小路は隅田川の西岸、中央区側にあります。橋の両岸がともに「両国」と呼ばれた時代の西側と考えると位置を取り違えにくいでしょう。
日本橋トピック♪「広く空ける」ことが防火対策だった
木造家屋が密集する江戸では、火災の延焼を止めるための空間そのものが重要でした。広小路の「広さ」は通行のためだけでなく、火を次の街区へ渡しにくくする仕切りでもありました。その余白に人が集まり、盛り場へ育ったところに江戸の都市の柔軟さが表れたといえるでしょう。
関連用語
両国橋西広小路に関するよくある質問
- 両国橋西広小路は現在の両国駅周辺ですか?
- 同じ場所ではありません。両国橋西広小路は隅田川の西岸にあった空間で、現在の住所では中央区東日本橋二丁目にあたります。JR両国駅は橋の東側です。
- 両国橋西広小路はなぜ盛り場になったのですか?
- 火除地として確保された広い空間に、見世物小屋や芝居小屋、飲食の店が集まったためです。防火のための余白が、多くの人を迎える場所にもなりました。

