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中川淳庵とは

中川淳庵とは、元文4年(1739年)に江戸で生まれた小浜藩医で、杉田玄白・前野良沢らと『解体新書』刊行に携わった蘭学者・本草家です。日本橋本石町三丁目の長崎屋でオランダ語版の解剖書を入手し、翻訳へ進むきっかけをつくった人物でもあります。

標準表記・読み:中川淳庵(なかがわじゅんあん)

別表記・読み:中川順庵(なかがわじゅんなん)

長崎屋で手にした一冊

明和8年(1771年)、中川淳庵は、オランダ商館長らの江戸宿だった長崎屋で解剖書を入手。その本を持って杉田玄白や前野良沢らと小塚原の腑分け、つまり人体解剖を見学します。翌日から前野良沢の住まいで翻訳を始め、約3年後の安永3年(1774年)に『解体新書』が刊行されます。

国立国会図書館の書誌に残る中川の役割は「校」。前野が翻訳を主導し、杉田や中川、桂川甫周らが知識を持ち寄った共同作業だったのでしょう。長崎屋は翻訳場所ではなく、原書を得た場所として区別すると、この地域との関係が分かりやすくなります。

日本橋トピック♪ツュンベリーの植物誌にも名前が残る

中川淳庵の関心は、医学だけにとどまりませんでした。安永4年(1775年)に来日したスウェーデン人医師・植物学者ツュンベリーと桂川甫周らが交流し、のちに刊行された『日本植物誌』の序文には中川と桂川の名前が記されています。

中川淳庵に関するよくある質問

中川淳庵と中川順庵は別人ですか?
同一人物です。中央区公式や国立国会図書館の書誌では「中川淳庵(なかがわじゅんあん)」、小浜市公式の人物紹介では「中川順庵(なかがわじゅんなん)」と記されています。
中川淳庵が参加した薬品会とは何ですか?
薬草や動植物、鉱物などを持ち寄り、名称や性質を調べる本草学の集まりです。中川は『解体新書』以前から薬品会に参加し、自然物の研究を重ねていました。

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