桂川甫周とは
桂川甫周とは、江戸時代中期の幕府の医官・蘭医(1751〜1809年)で、杉田玄白・前野良沢・中川淳庵らによる『解体新書』の訳述に参加した人物です。日本橋本石町の長崎屋では、来日したオランダ商館医らと交流しました。
名:国瑞(くにあきら)
字・号・通称:公鑑・月池・甫周
中川淳庵と長崎屋を訪れた
スウェーデン人医師・植物学者ツュンベリーは、安永4年(1775年)に来日し、オランダ商館長の江戸参府に随行。国立国会図書館のレファレンス協同データベースが紹介する資料には、桂川甫周が中川淳庵とともにツュンベリーを長崎屋に訪ねたことが記されています。西洋医学や植物学の知識を直接やり取りできる場が、日本橋本石町にありました。
桂川と中川は、ともに『解体新書』の訳述に参加した医師。国立国会図書館の書誌では、桂川の役割は「閲」、中川は「校」と記録されています。同じ共同作業に加わり、来日医師とも交流した同時代の仲間と捉えると、2人の関係が分かりやすいでしょう。
日本橋トピック♪漂流民の話を『北槎聞略』へ
桂川甫周は、ロシアから帰国した漂流民・大黒屋光太夫の見聞をもとに、寛政6年(1794年)に『北槎聞略』を著し、幕府へ上呈しました。医学だけでなく海外事情も記録した蘭医として、桂川の仕事の広がりを伝えています。
関連用語
桂川甫周に関するよくある質問
- 桂川甫周の本名は何ですか?
- 名は国瑞(くにあきら)です。字は公鑑、号は月池で、「甫周」は通称として使われました。
- 桂川甫周はツュンベリー以外の来日者とも交流しましたか?
- はい。国立国会図書館の解説では、オランダ商館長ティチングとも江戸参府の際に交流したことが確認できます。

