名代金鍔とは
名代金鍔とは、日本橋の和菓子店「榮太樓總本鋪」を代表する、丸い形の金鍔(きんつば)です。幕末に魚河岸の屋台で売られて評判を呼んだ、江戸を代表する和菓子のひとつ。
目次
金鍔は、刀の「鍔」をかたどった菓子
金鍔とは、その名のとおり刀の鍔(つば)をかたどった菓子です。鍔は刀の柄と刀身のあいだにある丸い金具で、だから金鍔も本来は丸くて平たい形をしています。
今のお店では、きれいな四角い金鍔をよく見かけます。けれど榮太樓の名代金鍔は、昔ながらの丸い形。これこそ金鍔の、もともとの姿。
銀鍔から金鍔へ、魚河岸の屋台から
もとをたどると、京都に「銀鍔」という菓子がありました。粳(うるち)の皮で餡を包んで焼いたもので、これが江戸へと渡ったのが始まりです。
江戸では粳を小麦粉に変えて焼いたところ、こんがりと焼き色がつきました。「銀色より金色のほうが上だ」ということで、金鍔と名付けられたと伝わります。幕末には、榮太樓のもとになった栄太郎が、日本橋の魚河岸の屋台で金鍔を焼いて売っていました。大きくて味がよいと評判を呼び、たいそう繁盛したそうです。そして安政4年(1857年)、いまの日本橋本店がある場所に小さな店を構えました。
Topic江戸で金鍔は、どれほど人気だった?
江戸の頃、金鍔は庶民から武士まで親しまれた人気の菓子でした。「流石武士の子 金鍔を 食べたがり」といった川柳や流行歌に詠まれるほどで、当時の暮らしに溶け込んでいた様子がうかがえます。今でいえば、誰もが知っている定番スイーツのような存在だったのでしょう。
名代金鍔に関するよくある質問
- 金鍔の中身は何でできていますか?
- 小豆の餡を薄い生地で包んで焼いた和菓子です。もとは京都の銀鍔が江戸で小麦粉の生地に変わり、金鍔になったと伝わります。
- 「金鍔」という名前はどこからきていますか?
- 京都の「銀鍔」という菓子が江戸に伝わり、粳を小麦粉に変えて焼くと金色の焼き色がついたことから、銀より金が上として金鍔と名づけられたと伝わります。
- 「名代」とはどういう意味ですか?
- 看板商品や評判の品という意味の言葉です。榮太樓を代表する金鍔であることを示しています。
