笠間稲荷神社東京別社とは
笠間稲荷神社東京別社とは、東京都中央区日本橋浜町にある神社で、茨城県の笠間稲荷神社の分社(東京別社)にあたります。日本橋七福神では長寿をもたらす寿老神を祀り、商売繁盛や開運を願う人が手を合わせます。もとは笠間藩のお殿様、牧野家の江戸屋敷の中に祀られていた社でした。
「東京別社」とは?本社は茨城の笠間
名前にある「別社」とは、本社から神さまの分け御霊(みたま)を迎えて祀った社のこと。つまりこの神社の本社は、茨城県笠間市にある笠間稲荷神社です。本社は日本三大稲荷の一つに数えられることもある、関東を代表する稲荷社。同じ「笠間稲荷」でも、茨城の本社と日本橋の東京別社は別の場所にある、と覚えておくと混乱しません。
日本橋に分社が生まれたのは、この地が笠間藩主・牧野家の江戸下屋敷だったから。安政6年(1859年)に、藩主の牧野貞直が国元の笠間稲荷の分霊を屋敷内に勧請したのが始まりとされています。別名を「紋三郎稲荷」ともいいます。
日本橋七福神では「寿老神」
七福神での役割は、長い杖を手にした寿老神。長寿や健康を授ける神さまです。稲荷の神(宇迦之御魂神)が商売繁盛を、寿老神が長寿をと、一社で二つの福を授かれるのもうれしいところでしょう。椙森神社の恵比寿や末廣神社の毘沙門天と同じく、社ごとに七福神の担当が分かれているので、寿老神を拝むならこの社、と覚えておくと巡りがスムーズです。
Topicお殿様が国元から呼び寄せた稲荷が、町の社に
この社のおもしろさは、もともと大名屋敷の中にあった神さまだという点です。笠間藩の牧野家が、遠い国元(茨城)の稲荷を江戸の下屋敷に分けて祀ったのが起こり。やがて明治になって藩そのものが無くなりますが、社は取り壊されることなく町に残りました。明治21年(1888年)には牧野家の願いで本社の笠間稲荷が管理を引き継ぎ、今に続いています。殿様の屋敷神が、めぐりめぐって誰もがお参りできる町の社になった、というわけです。
笠間稲荷神社東京別社に関するよくある質問
- 茨城の笠間稲荷神社とは違う神社ですか?
- 本社は茨城県笠間市の笠間稲荷神社で、日本橋浜町にあるのはその分社(東京別社)です。神さまのつながりは同じですが、場所は別になります。
- 笠間稲荷神社東京別社は「紋三郎稲荷」とも呼ばれますか?
- はい、別名を紋三郎稲荷といいます。牧野家ゆかりの稲荷として、古くからこの名でも親しまれてきました。
- 日本三大稲荷とは何ですか?笠間稲荷は入りますか?
- 全国の代表的な稲荷三社を指す呼び名で、本社の笠間稲荷神社が数えられることもあります。ただし、どの三社を選ぶかは諸説あります。
