十思小学校集団疎開先記念写真とは
十思小学校集団疎開先記念写真とは、十思小学校の万松院での集団疎開を伝える集合写真資料です。読みは「じっししょうがっこうしゅうだんそかいさききねんしゃしん」。中央区平和祈念バーチャルミュージアムで公開され、京橋図書館が所蔵しています。
正式名称(資料名):十思小学校集団疎開先記念写真 -万松院集団疎開-
写真に名が残る十思の学校は当時の日本橋区にあり、校地は現在の日本橋小伝馬町です。十思小学校は1990年に東華小学校と統合し、中央区立日本橋小学校へ引き継がれました。校舎は十思公園に隣接する十思スクエア本館として現存しています。
写真と学校別記録を分けて読む
写真には、建物の前で並ぶ児童と大人が写っています。ただし、中央区の個別項目には撮影日、人数、人物名の説明がありません。同区の別の学校別記録では、1945年6月30日時点で、十思国民学校の児童が比企郡野本村の寺院寮舎2か所に99人、比企郡西吉見村の寺院寮舎2か所に32人いたと記されています。この表は埼玉県内の集団疎開先をまとめたもので、親類などを頼る縁故疎開は別に集計されています。写真に写る人数や撮影場所の内訳としては使えません。資料に書かれた範囲を分けて読むことが大切です。
日本橋トピック♪写真名と統計表で学校名が違う
中央区の写真項目は「十思小学校」、1945年6月30日時点の疎開統計は「十思国民学校」と記しています。十思の戦時資料を探すときは、一方の名前だけでは情報を見落とすかもしれません。資料に残る二つの表記そのものが、当時を調べる手がかりになります。
関連用語
十思小学校集団疎開先記念写真に関するよくある質問
- 写真だけで万松院の所在地を特定できますか?
- 中央区の写真項目だけでは特定できません。別の学校別記録には十思国民学校の疎開先として野本村と西吉見村が載りますが、万松院をどちらへ結びつける注記はありません。
- 十思小学校集団疎開先記念写真の撮影年は分かりますか?
- 中央区の個別項目には撮影日の記載がありません。同じページにある別画像の「昭和19年」という見出しを、この写真の撮影年として扱うことはできません。

