十返舎一九とは
十返舎一九とは、江戸後期に『東海道中膝栗毛』で知られた戯作者です。日本橋との接点は、現行町名の日本橋大伝馬町にあたる通油町で、蔦屋重三郎のもとから多彩な本を世に出したことにあります。
日本橋の出版文化で磨いた仕事
本名は重田貞一です。駿河国府中から大坂を経て江戸へ出ると、山東京伝のもとで黄表紙の挿絵を描きました。その後、日本橋通油町の書肆、つまり出版と本屋を兼ねた蔦屋重三郎のもとに身を寄せています。
一九が手がけたのは、黄表紙や滑稽本、洒落本、合巻など。ジャンル名だけを見ると難しく感じますが、絵入りの読み物から笑いを楽しむ物語まで、江戸の人々が気軽に手に取る本を幅広く作ったと捉えると分かりやすいでしょう。
『東海道中膝栗毛』は旅の案内役でもあった
弥次郎兵衛と喜多八の珍道中を描く膝栗毛シリーズは、1802年(享和2年)から刊行されました。21年間に正編・続編を合わせて43冊が出され、笑える物語と旅の案内記の要素を併せ持っていました。
十返舎一九の墓所は日本橋ではなく勝どきの東陽院にあります。日本橋は作品を生み出した出版活動の場所、勝どきは関東大震災後に墓塔が移された場所です。この二つを分けると、人物と街の関係がすっきり見えてくるでしょう。
日本橋トピック♪最後の言葉まで、しゃれが利いている?
墓塔の側面には、線香の煙とともに「灰さようなら」と別れを告げる辞世の句が刻まれています。「はい」と「灰」を重ねた言葉遊び。旅の失敗を笑いに変えた作家らしさが、作品の外にも残されています。
関連用語
十返舎一九に関するよくある質問
- 十返舎一九はどこで生まれましたか?
- 1765年に駿河国府中、現行の静岡市で生まれました。大坂での奉公や創作を経て江戸へ移り、戯作者として活動しました。
- 十返舎一九が使った印はどんな形ですか?
- 熊手と、本名の貞一に通じる「貞」を組み合わせた印です。勝どきの東陽院にある墓塔の台石にも施されています。
