ヤン・ヨーステンとは

ヤン・ヨーステンとは、慶長5年(1600年)にリーフデ号で日本へ漂着し、徳川家康に登用されたオランダ人通訳です。江戸の屋敷地にちなむ「やよす河岸」という呼び名が変化し、八重洲の地名へ受け継がれました。

リーフデ号から江戸へ

リーフデ号は、慶長5年(1600年)4月に豊後国佐志生(現在の大分県臼杵市)へ漂着しました。ヤン・ヨーステンは、同じ船に乗っていたイギリス人航海士ウィリアム・アダムスとともに、徳川家康に登用されます。

同じ船で来日した2人ですが、もちろん別々の人物。アダムスは日本名を三浦按針といい、日本橋室町に屋敷跡の記念碑があります。一方のヤン・ヨーステンは江戸に居宅を与えられ、家康の外交・貿易の顧問として重んじられました。

八重洲の名は屋敷地の呼び名から

では、その屋敷は現在の中央区八重洲にあったのでしょうか。実際に拝領した邸地は、内堀沿いの和田倉門の外にあたる場所。その名にちなんで一帯が「やよす河岸」と呼ばれ、後に八重洲町、昭和29年(1954年)に現在の八重洲となりました。

屋敷が中央区八重洲にあったと単純に重ねないことが大切です。人名に由来する呼び名が地名として残り、東京駅の東側を指す名称へ受け継がれたと捉えると分かりやすいでしょう。

八重洲と長崎屋跡を続けて読むと、江戸初期の来航者と、後世に日本橋で続いたオランダ商館長一行の江戸参府を、異なる時代の日蘭交流としてつなげられます。

日本橋トピック♪八重洲通りに立つ記念碑は日蘭修好380周年の印

八重洲通りの中央分離帯には、ヤン・ヨーステン記念碑があります。オランダ人彫刻家の作で、左にヤン・ヨーステンの横顔、右に彼が乗り組んだリーフデ号が刻まれた石碑。1980年、リーフデ号来航から数えて日蘭修好380周年を記念して置かれました。街なかで地名の由来となった人物に出合える場所です。

ヤン・ヨーステンに関するよくある質問

ヤン・ヨーステンは徳川家康からどのように遇されましたか?
江戸に居宅を与えられ、外交や貿易の顧問として信任されました。朱印状を得て東南アジアとの朱印船貿易にも従事しています。
「やよす河岸」と「八重洲」はどうつながりますか?
中央区の町名由来では、ヤン・ヨーステンが邸地を拝領したことから一帯を「やよす河岸」と称し、後に八重洲町、昭和29年(1954年)に八重洲となったと説明しています。呼び名が変化して現在の地名に残りました。

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