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本材木河岸とは

本材木河岸とは、かつての楓川西岸で、本材木町一丁目から八丁目に沿っていた河岸地です。読みは「ほんざいもくがし」。現在の首都高速都心環状線沿いにあたる歴史的な名称で、河岸や楓川が現存しているわけではありません。

江戸城普請から始まった材木商の町

1604年、江戸城造営のため各地から材木商が招かれ、材木の切り出しを命じられました。城の完成後、材木商は江戸前島の東岸へ移され、材木町が成立します。楓川沿いでは木材を扱う商いが続き、川岸は本材木河岸と呼ばれました。1877年3月23日、江戸橋から白魚橋までの河岸地が正式名称になります。旧河岸地は、現在の首都高速都心環状線沿いにあたります。

日本橋トピック♪「本」の字は新材木町との区別

町名は、初めから本材木町だったわけではありません。もとは材木町でしたが、後に東堀留川沿いへ新材木町ができたため、区別して「本」の字が付きました。本材木河岸の名にも、その町名の変化が受け継がれています。

本材木河岸に関するよくある質問

旧本材木河岸は現在のどのあたりですか?
中央区立図書館の郷土資料では、日本橋一丁目20番から京橋三丁目14番付近にかけての首都高速都心環状線沿いにあたると説明されています。
本材木河岸には別の呼び名がありましたか?
はい。中央区立図書館の郷土資料では材木河岸とも呼ばれ、一部は新場河岸とされていたと説明されています。

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