後藤庄三郎とは
後藤庄三郎とは、江戸幕府の金貨製造機関・金座を率いた御金改役の名です。初代は後藤庄三郎光次で、その役目は後藤庄三郎家が世襲しました。日本橋本石町にあった金座と深く結びつく人物です。
初代・光次と後藤庄三郎家
初代の光次は、江戸幕府が貨幣制度を整える時期に御金改役を務めた人物。金座の長にあたるこの職は、光次を初代とする後藤庄三郎家が代々担当したものです。そのため「後藤庄三郎」は、文脈によって初代個人または金座を支配した家を示します。
金座で担った検定と極印
江戸の金座は、大判を除く金貨の製造を幕府から請け負った機関です。初期には、小判師が自宅で小判のもとになる原判金を作り、それを後藤家へ集めました。検定に合格した原判金へ後藤家が極印を打つことで、品質を確かめる重要な役割を果たしたといえるでしょう。
日本橋本石町でたどれる金座の跡
金座の役所や吹所、後藤庄三郎光次の役宅があった土地には、日本銀行本店が建っています。日本銀行本店本館(金座跡)と貨幣博物館をあわせて知れば、江戸の金貨製造と日本橋の場所のつながりが具体的に見えてくるでしょう。
日本橋トピック♪「後藤」の名字と桐紋はどこから来た?
貨幣博物館の常設展示図録によると、庄三郎は後藤家5代目徳乗の弟子でした。江戸へ赴くにあたり、後藤の名字と桐紋の使用を後藤家から認められ、その後の後藤庄三郎家による金座支配へつながりました。
後藤庄三郎に関するよくある質問
- 「後藤庄三郎」は初代だけを指す名前ですか?
- 初代・光次を指す用例に加え、御金改役を世襲した後藤庄三郎家を指す用例もあります。人物と家のどちらを示すかは文脈で見分けます。
- 金座では大判も作っていたのですか?
- 日本銀行は、江戸の金座を大判を除く金貨の製造機関と説明しています。小判や一分金などを扱った点を押さえると分かりやすいでしょう。

