日本橋本石町とはどんな場所?「石町」という地名の由来と江戸の金座・日本銀行への変遷を解説

こんにちは!とーんと♡日本橋編集部です。
日本橋エリアを歩いていると、「本石町」という地名を目にすることがあります。
「これ、なんて読むんだろう?」「どんな場所なんだろう?」と気になった方、実は少なくないんですよ。
日本橋本石町 (ほんごくちょう) は、江戸時代に幕府の金貨鋳造機関「金座」が置かれ、現在は日本銀行本店が建つ、日本の金融の原点ともいえるエリアです。
「石町」という一風変わった地名には、江戸の暮らしと商いにまつわる興味深い由来がありますし、時の鐘や落語「時そば」との関係など、掘れば掘るほど面白いエピソードが出てきます。
この記事では、本石町の読み方と地名の由来から、金座が置かれた理由とその廃止、そして日本銀行本店への変遷までを時系列で解説します。
記事の後半では、貨幣博物館や白旗稲荷神社など、今の本石町で実際に訪れられるスポットもご紹介しますので、街歩きの参考にしてみてくださいね。
日本橋本石町の読み方と概要|「ほんごくちょう」が正しい理由
日本橋本石町の正しい読み方は「ほんごくちょう」です。
「ほんいしまち」や「ほんこくちょう」と読んでしまいがちですが、「石 (こく)」が連濁して「ごく」となるのが正式な読み方なんですよ。
本石町の読み方は「ほんごくちょう」|「こく」が濁る理由
日本橋本石町の「石」を「こく」と読む背景には、米などの量を表す単位「石 (こく)」との関わりがあります。
江戸時代、米は経済の基盤であり、「石」は生産力や量を示す単位として暮らしに深く根づいていました。地名に残る「石」も、岩石の「いし」ではなく、この穀物の単位「こく」を指していると伝えられています。
日本語の複合語では、後ろの要素の頭が濁る「連濁」という現象がよく起こりますよね。
本石町の場合も「本 (ほん)」+「石 (こく)」+「町 (ちょう)」の組み合わせで、「こく」が「ごく」に変化し、「ほんごくちょう」という読みが定着したと考えられています。

本石町の現在の町域と最寄り駅
現在の日本橋本石町は、東京都中央区に位置する1丁目〜4丁目で構成されています。
日本橋の北西側にあたり、神田方面との境界に近いエリアですね。
日本橋本石町の最寄り駅とアクセス
- 三越前駅 (東京メトロ銀座線・半蔵門線) から徒歩約3〜5分
- 新日本橋駅 (JR総武快速線) から徒歩約2〜4分
- 神田駅 (JR各線・東京メトロ銀座線) から徒歩約5〜8分
貨幣博物館がある本石町1丁目や、日本銀行本店がある本石町2丁目は、三越前駅からのアクセスが便利です。
一方、本石町3〜4丁目方面は新日本橋駅のほうが近いので、目的地に合わせて使い分けてみてください。

「石町」の地名の由来とは?|米穀商が集った町と「石(こく)」
日本橋本石町の「石町」という地名は、もともと「石町 (こくちょう)」と呼ばれた町に由来します。
中央区の資料によれば、この一帯に米や穀物を扱う商人=米穀商が集まっていたことが、町名の起こりとされています。
石町の由来は米穀商|穀物を量る単位「石(こく)」から
「石町」の「石」を「こく」と読むのは、米などの穀物を量る単位「石 (こく)」に由来すると伝えられています。
江戸時代、米は経済の中心であり、「石」は身近な単位として暮らしに根づいていました。
米穀商が軒を連ねたこの一帯は、穀物の量を量る「石 (こく)」の文字をあてて「石町 (こくちょう)」と呼ばれるようになった。これが中央区の資料などで紹介されている代表的な由来とされています。
決定的な史料がすべて残っているわけではありませんが、町名の「石」が岩石の「いし」ではなく穀物の単位「こく」であることは、本石町を理解するうえで大切なポイントですね。

「石」は「こく」と読む
本石町の「石」は、岩石を意味する「いし」ではなく、米などの量を量る単位「こく」。
米穀商の町だったからこそ生まれた、江戸の暮らしと商いに根ざした地名なんですね。
「本石町」と「石町」の関係|「本」がついた理由
「石町」が「本石町」と呼ばれるようになった理由は、比較的はっきりしています。
江戸の市街が広がるなかで、寛文年間 (1661〜1673年) に神田へ新たに「新石町 (しんこくちょう)」ができました。これと区別するため、もとからの石町を「本石町 (もとの石町)」と呼ぶようになったとされています。
「本」は「もとの・元祖の」を意味する接頭語。日本橋エリアではほかにも「本町 (ほんちょう)」「本銀町」など「本」のつく町名が複数残っています。
日本橋本石町の「本」も、新石町に対して「もとからの石町」であることを示すための区別だったわけですね。

日本橋エリアには、こうした江戸の町割りに由来する地名が数多く残っています。
たとえば伝馬制度に由来する「大伝馬町」の地名の由来も、職業や制度がそのまま地名になった好例です。
石町の時の鐘|江戸の時刻を知らせた鐘と落語「時そば」
日本橋本石町の歴史を語るうえで外せないのが、「石町の時の鐘」です。
江戸時代、時計を持たない庶民にとって、時の鐘は生活リズムそのものを支える存在でした。
石町の時の鐘とは?江戸市中に響いた時報の仕組み
石町の時の鐘は、江戸幕府の許しのもとで市中に時刻を知らせた鐘で、江戸で最初の時の鐘とされています。
寛永3年 (1626年) ごろ、江戸城内で鐘撞 (かねつき) 役を務めていた辻源七が本石町に拝領地を得て鐘撞堂を建て、鐘を鋳造したのが始まりと伝えられています。
江戸の時刻制度は現在とはまるで違い、日の出・日の入りを基準にした不定時法が使われていました。
昼と夜をそれぞれ6等分し、その区切りごとに鐘を打って時刻を伝える仕組みです。
石町の鐘がまず時を告げ、その音を受けて市中の鐘が次々と打ち継いでいったと伝えられており、日本橋一帯ではこの鐘の音が暮らしのリズムを支えていました。

石町の鐘は江戸で最初の時の鐘とされ、のちに浅草や上野など市中の各所にも時の鐘が設けられていきました。「江戸の時報のはじまりの地」といえる存在です。
その鐘は何度かの改鋳・移転を経て、現在は十思公園 (じっしこうえん) 内に保存されています。
十思公園と石町の時の鐘
十思公園は日本橋小伝馬町にある公園で、伝馬町牢屋敷跡としても知られるスポットです。
石町の時の鐘は何度か移転を経ており、現在はこの公園内に鐘楼とともに保存されています。
小伝馬町の歴史に興味がある方は、伝馬町牢屋敷跡の歴史を解説した記事もあわせてどうぞ。
落語「時そば」と江戸の時の鐘|時刻を数えるしくみ
江戸の時の鐘は、古典落語の名作「時そば」を楽しむうえでも欠かせない背景知識です。
「時そば」は、そば屋の代金を支払う際に、時の鐘の数え方を利用して勘定をごまかそうとする噺。
江戸の不定時法では、深夜の時刻を「九つ」と呼びます。代金を一文ずつ数える途中で「今、何時 (なんどき) だい?」と尋ね、鐘の数えと勘定を巧みにすり替えるやり取りが、笑いを生むわけですね。

「時そば」自体が石町の鐘を舞台として名指ししているわけではありませんが、噺の前提にある「鐘で時刻を知る」という江戸の暮らしは、石町の時の鐘のような時報があってこそ成り立っていました。
本石町を歩くときにこの噺を思い出してみると、江戸の日常がぐっと身近に感じられるかもしれません。
江戸の金座と本石町|金貨を鋳造した幕府の造幣機関
日本橋本石町が「日本の金融の原点」と呼ばれる最大の理由。それが幕府直轄の金貨鋳造機関「金座」の存在です。
江戸時代、本石町には金座が置かれ、日本全国で流通する金貨がまさにここで生み出されていました。
金座とは何か?本石町に置かれた理由
金座とは、江戸幕府が金貨 (小判や一分金など) の鋳造・検定を行うために設置した機関です。
運営を任されていたのは後藤庄三郎光次をはじめとする後藤家で、代々「金座人」として幕府の貨幣政策を担いました。
では、なぜ日本橋本石町だったのか。その理由として、以下の点が挙げられています。
- 江戸城に近い:幕府が直接監督しやすい立地だった
- 日本橋が物流の中心:五街道の起点であり、鋳造した金貨を全国に流通させやすかった
- 商業エリアとの近接:日本橋周辺に集まる両替商や問屋との連携が容易だった
偶然ではなく、江戸の政治・経済・物流の要衝だったからこそ、金座はこの地に置かれたんですね。

金座はいつまであった?明治維新と金座の廃止
日本橋本石町の金座は、明治2年 (1869年) に廃止されました。
江戸幕府が倒れ、明治新政府が近代的な貨幣制度を導入する過程で、金座・銀座といった旧来の鋳造機関はその役目を終えます。
新政府はのちに大阪に造幣局を設立し、西洋式の貨幣鋳造へと切り替えていきました。
ちなみに「銀座」という地名は現在も東京の一等地として有名ですが、あの銀座もそもそもは銀貨を鋳造する「銀座」があったことに由来しています。
日本橋本石町の金座と銀座は、いわば「金と銀」で江戸の貨幣経済を支えた双子のような存在だったわけです。

金座の歴史をざっくりつかむなら
日本橋本石町の金座は、慶長年間 (1596〜1615年) ごろの設置から明治2年の廃止まで、およそ250年以上にわたって金貨鋳造を担ったとされています。
江戸時代を通じて、本石町は文字通り「お金が生まれる場所」でした。
金座跡地から日本銀行本店へ|近代金融の中心地としての本石町
明治2年に金座が廃止された後、日本橋本石町の金座跡地には日本銀行本店が建設されました。
江戸時代に金貨が鋳造されていたまさにその場所が、近代日本の中央銀行の拠点へと姿を変えたわけです。

日本銀行本店が金座跡地に建てられた経緯
日本銀行は明治15年 (1882年) に設立され、当初は別の場所で業務を開始しています。
その後、本格的な本店庁舎の建設にあたって選ばれたのが、日本橋本石町の金座跡地でした。
この立地が選ばれた背景には、いくつかの要因が指摘されています。
- 金座という「貨幣の聖地」の象徴性:近代金融の中枢にふさわしい歴史的文脈があった
- 広大な敷地の確保:金座廃止後にまとまった土地が利用可能だった
- 日本橋の交通利便性:五街道の起点であり、全国との物流・情報の結節点だった
金貨を生み出してきた土地が、そのまま日本の金融政策の中心地になる。
考えてみれば不思議な巡り合わせですが、日本橋本石町の土地としての「金融の記憶」は、江戸から明治、そして現在まで途切れることなく受け継がれているといえるでしょう。
辰野金吾設計の重要文化財|上空から見ると「円」の字に見える建物
現在の日本銀行本店本館 (旧館) は、明治29年 (1896年) に竣工した、日本近代建築の傑作です。
設計を手がけたのは、東京駅丸の内駅舎でも知られる建築家・辰野金吾。
ベルギーの中央銀行の建物を参考にしたといわれるネオ・バロック様式の重厚な石造りは、日本橋本石町のランドマークとして今なお圧倒的な存在感を放っています。
日本銀行本店本館は国の重要文化財に指定されており、近代日本の建築遺産としても高く評価されています。
そしてもうひとつ、よく話題になるのが「上空から見ると建物の形が漢字の『円』に見える」というエピソード。
これが辰野金吾の意図だったのか、それとも偶然の一致なのかは、確かな史料が残っておらず諸説あります。
竣工した明治時代には通貨の表記が旧字の「圓」だったこともあり、現在の「円」の形と重ねて語られる、知っておくと街歩きがちょっと楽しくなる小ネタですね。

現在の本石町を歩く|貨幣博物館や白旗稲荷神社の見どころ
歴史の話が続きましたが、「じゃあ今の本石町には何があるの?」という疑問にもお答えしますね。
日本橋本石町は、歴史を「体験」できるスポットが徒歩圏内にまとまっている、街歩きにぴったりのエリアです。
貨幣博物館のアクセスと見どころ|入館無料でお金の歴史を体感
日本橋本石町1丁目にある貨幣博物館は、日本銀行金融研究所が運営する入館無料の博物館です。
日本銀行の分館にあたる建物内に設置されており、三越前駅から徒歩約3分でアクセスできます。
貨幣博物館の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 東京都中央区日本橋本石町1-3-1 (日本銀行分館内) |
| 最寄り駅 | 三越前駅 (東京メトロ) 徒歩約3分 |
| 入館料 | 無料 |
| 開館時間 | 9時30分〜16時30分 (最終入館16時) |
| 休館日 | 月曜日 (祝休日は開館)、年末年始 (12月29日〜1月4日) ※展示入替等で臨時休館の場合あり |
※上記は2026年5月時点で貨幣博物館の公式サイトを確認した情報です。開館時間・休館日は変更される場合があるため、おでかけ前に公式サイトで最新情報をご確認ください。
貨幣博物館では、古代の貝や中国渡来の貨幣から、江戸時代の小判、そして現代の紙幣まで、日本のお金の歴史を時系列で学ぶことができます。
なかでも来館者に人気なのが「1億円の重さ体験」コーナー。重さを体感できるケースを持ち上げて、1億円の重みを実感できるんですよ。
正直、持ち上げてみるとけっこうずっしりきます。

江戸時代の小判の実物も展示されているので、金座が置かれた本石町の歴史と直接つながる体験ができる場所です。
展示内容やお土産情報については、貨幣博物館の見どころとお土産を詳しくまとめた記事もぜひ参考にしてみてください。
白旗稲荷神社|社伝に源義家の故事を伝える本石町の守り神
日本橋本石町には、オフィスビルの合間にひっそりと鎮座する白旗稲荷神社があります。
創建の年代は定かではありませんが、社伝によれば、平安時代の武将・源義家が奥州へ向かう途中にこの地で白旗を立てたという故事が、社名の由来として伝えられています。
現在は本石町で働くビジネスパーソンが昼休みにふらりと参拝する姿も見られる、地域に愛される小さな神社。
金座や日本銀行といった「お金にまつわる歴史」を巡ったあとに、静かな境内で一息つくのもいい過ごし方ですよね。
白旗稲荷神社のご利益や参拝情報については、白旗稲荷神社の歴史と参拝ガイドで詳しくご紹介しています。
本石町の街歩きモデルコース (所要時間:約1〜1.5時間)
三越前駅 → 日本銀行本店本館 (外観見学) → 貨幣博物館 → 白旗稲荷神社 → 新日本橋駅方面へ
本石町1丁目周辺の街歩き情報は日本橋本石町1丁目のスポット紹介記事にもまとめています。

よくある質問 (FAQ)
Q. 日本橋本石町の読み方は?
A. 日本橋本石町の読み方は「にほんばし ほんごくちょう」です。「石」を「こく」と読み、連濁によって「ごく」となるのが正式な読み方とされています。
Q. 本石町の地名の由来は何ですか?
A. 日本橋本石町は、もともと「石町 (こくちょう)」と呼ばれた町に由来します。中央区の資料によれば、この一帯に米穀商が集まっていたことから、穀物を量る単位「石 (こく)」の字をあてて名付けられたとされています。のちに神田に「新石町」ができたため、もとの石町を「本石町」と呼ぶようになりました。
Q. 日本橋本石町の金座とは何ですか?
A. 日本橋本石町の金座とは、江戸幕府が金貨 (小判や一分金など) の鋳造・検定を行うために設置した直轄機関です。後藤庄三郎光次をはじめとする後藤家が運営を担い、慶長年間 (1596〜1615年) ごろの設置から明治2年 (1869年) の廃止まで、およそ250年以上にわたって金貨鋳造を担いました。
Q. 金座跡地はいつまであったのですか?日本銀行との関係は?
A. 日本橋本石町の金座は明治2年 (1869年) に廃止されました。その後、金座跡地に日本銀行本店が建設され、明治29年 (1896年) に辰野金吾設計の本店本館が竣工しています。金貨鋳造の地が近代金融の中枢へと転用された形です。
Q. 本石町にある貨幣博物館のアクセスと入館料は?
A. 日本橋本石町の貨幣博物館は、東京メトロ三越前駅から徒歩約3分の場所にあります。入館料は無料です。開館時間は9時30分〜16時30分 (最終入館16時) で、休館日は月曜日 (祝休日は開館) および年末年始とされています (2026年5月時点・公式サイト確認)。最新情報は日本銀行金融研究所の貨幣博物館公式サイトでご確認ください。
Q. 石町の時の鐘は今どこにありますか?
A. 石町の時の鐘は、現在は日本橋小伝馬町の十思公園 (じっしこうえん) 内に保存されています。江戸時代には日本橋本石町で鳴らされ、江戸で最初の時の鐘として市中に時刻を知らせていました。

日本橋本石町とは、江戸幕府の金貨鋳造拠点「金座」から日本銀行本店へと変遷した、日本の金融史の原点が凝縮されたエリアです。
「ほんごくちょう」という少し不思議な響きの地名には、江戸の暮らしの記憶が刻まれています。
米穀商が集った石町の時代、時の鐘が鳴り響いた時代、金貨が鋳造された時代。
そして今は、日本銀行と貨幣博物館がこの場所の歴史を静かに伝えています。
日本橋を歩く機会があれば、ぜひ本石町まで足を延ばしてみてくださいね。
オフィスビルの合間に、江戸から続く「お金の歴史」がひっそりと息づいていますよ。
