名橋「日本橋」保存会とは
名橋「日本橋」保存会とは、日本橋エリアの象徴である石造の橋・日本橋を後世へ守り伝えるため、1968年(昭和43年)に発足した地元主体の団体です。日本橋にゆかりのある百貨店や老舗、銀行、地元の町会、個人などが手を結び、橋の清掃や日本橋川の再生を通じて街の活性化に取り組んできました。なお「名橋」は「めいきょう」と読みます。
高架に覆われた橋を惜しんで生まれた
保存会が生まれたのは、1968年(昭和43年)5月のことです。このころの日本橋は、すでに頭上を首都高速道路の高架に覆われていました。橋の上に青空がない、その姿を惜しんだ地元の人々が、橋を守り、いつか日本橋川に空を取り戻したいという願いから集まったのが始まりです。
以来、保存会は高架の高速道路を地下へ移し、日本橋をよみがえらせる活動を一貫して掲げてきました。橋の真上をふさぐ高架をどうにかしたい、という地元の声を半世紀にわたって発信し続けてきた団体だといえるでしょう。
橋を洗い、街の記録を残す
保存会の活動でよく知られているのが、夏の恒例行事「名橋『日本橋』を洗う会」です。1971年(昭和46年)から続く催しで、毎年7月の第4日曜に、地元の人々が橋の上に並んでデッキブラシを手に一斉に橋を磨きます。最新の開催日程は、保存会の公式サイトで確認できます。
では、橋を磨くほかには何をしているのでしょうか。活動は橋の清掃だけにとどまりません。橋のたもとに立つ日本国道路元標の美化や橋畔の環境整備、地域情報誌『月刊日本橋』の監修など、その目はいつも橋と街の両方に向いています。事務局を構えるのは、橋のすぐそばに建つ三越日本橋本店の中。
Topic「橋に空を」という半世紀の願いは、いまどこへ?
日本橋の真上に高速道路の高架が通ったのは、前回の東京オリンピックを翌年に控えた1963年(昭和38年)でした。それから数年後に生まれた保存会は、半世紀以上にわたって「橋の上に青空を取り戻したい」と訴え続けてきました。その長年の願いに応えるように、いまでは高架を地下へ移す首都高速道路の地下化が動き出しています。一つの団体の地道な声が、街の風景を変える大きな計画へとつながっていく。日本橋には、そんな時間の流れが息づいています。
名橋「日本橋」保存会に関するよくある質問
- 「名橋」は何と読みますか?
- 「めいきょう」と読みます。名橋「日本橋」保存会は「めいきょうにほんばしほぞんかい」です。すぐれた橋、由緒ある橋という意味で日本橋を指しています。
- 名橋「日本橋」保存会は、行政がつくった組織ですか?
- いいえ。日本橋にゆかりのある民間の企業や商店、町会などが自主的につくった団体です。橋の保全を役所まかせにせず、地元の手で半世紀以上続けてきた点に特色があります。
- 保存会が首都高速道路を地下化するのですか?
- 地下化そのものは首都高速道路会社や国、東京都、中央区などが進める公共事業です。保存会は、高架を地下へ移して橋に青空を取り戻したいと長年訴えてきた地元側の団体という位置づけです。
