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日本国道路元標とは

日本国道路元標とは、東京都中央区の日本橋(にほんばし)の橋上中央に埋め込まれた、日本の主要な道路の起点を示すプレートです。江戸時代に五街道の出発点となった日本橋は、今も国道7本がここを起点としています。いわば全国の幹線道路の「ゼロキロ地点」を記したしるしです。

日本国道路元標が持つ意味

道路元標(どうろげんぴょう)は、もともと大正8年(1919年)の旧道路法で各市町村に置くと定められた、道路の起点を示す標識です。そのなかでも日本橋に置かれたものは特別な存在。ここを起点とする国道は1号・4号・6号・14号・15号・17号・20号の7本にのぼります。

この7本は、いずれも起点が「東京都中央区」と定められた国道です。終点を見ると、国道1号は大阪市、4号は青森市、17号は新潟市、20号は長野県塩尻市。日本各地へ向かう主要ルートがすべてこの一点から始まると考えると分かりやすいでしょう。江戸の旅人が五街道をたどった出発点が、そのまま現代の国道網の出発点として受け継がれているわけです。

いつ、どのように設置されたか

現在のプレートは、昭和47年(1972年)に設置されたものです。都電(路面電車)が廃止されたあとの日本橋の道路改修にあわせ、橋の中央の車道に銅板のプレートが埋め込まれました。「日本国道路元標」の文字は、当時の内閣総理大臣・佐藤栄作の揮毫(きごう=直筆の文字)によるものです。

ここで混同しやすいのが、同じ日本橋にある「東京市道路元標」です。こちらは街灯のような形をした標柱で、もとは橋の上にあり、1972年の改修のときに北西の袂(たもと)へ移されました。いまは日本橋とあわせて国の重要文化財に指定されています。つまり「日本国道路元標」と「東京市道路元標」は別物。橋の北詰には、この2種類が並んでいます。

本物と複製、どこで見られる?

本物のプレートは橋の真ん中の車道に埋まっているため、車の往来があって近づいて眺めるのは難しい位置にあります。では、ゆっくり見たいときはどうすればよいのでしょうか。橋の北詰西側にある「元標の広場」には、台座にはめ込まれた複製(レプリカ)が置かれました。こちらなら歩道から安全に文字まで確かめられます。

広場には先ほどの東京市道路元標も移されているので、街歩きのついでに2つを見比べてみるのもおすすめ。日本橋川にかかる石造アーチの名橋とあわせて、足元の小さなしるしにも目を向けてみてください。

日本橋トピック♪標識は新しいのに、起点という役目は江戸時代から

足元のプレートは昭和47年(1972年)と意外に新しいものですが、日本橋が道の出発点だという役目そのものは江戸時代までさかのぼります。慶長期に架けられた日本橋は翌年に五街道の起点と定められ、明治に入ってからも橋の中央が国道の起点とされてきました。標識のかたちは時代ごとに置き換わっても、「ここがゼロキロ地点」という位置づけは400年以上ずっと変わっていないわけです。

日本国道路元標に関するよくある質問

なぜ日本橋が日本の道路の起点なのですか?
慶長8年(1603年)に初めて架けられた日本橋が、翌年に五街道の起点と定められたためです。明治に入ってからは橋の中央が国道の起点とされ、その役割が今の国道にも引き継がれています。
ここは東京と大阪、どちらの日本橋ですか?
東京都中央区の日本橋(にほんばし)です。電気街で知られる大阪市の日本橋(にっぽんばし)とは読み方も場所も別の地名なので、混同しないよう注意してください。
見学にお金や予約は必要ですか?
屋外の橋と広場にあるため、見学は無料で予約も不要です。歩道や元標の広場からいつでも自由に眺められます。
道路元標は、今も法律で置くことになっているのですか?
いいえ。大正8年(1919年)の旧道路法では各市町村に1つずつ置くと定められていましたが、昭和27年(1952年)に制定された今の道路法では道路の付属物の一つとされるだけで、置く義務や材質・形の決まりはありません。

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