銀行発祥の地とは

銀行発祥の地とは、日本で最初の銀行「第一国立銀行」1873年(明治6年)に創立された場所を示す、日本橋兜町の記念碑です。碑は現在のみずほ銀行兜町支店の壁にはめ込まれており、その第一国立銀行の設立を主導し、のちに頭取を務めたのが渋沢栄一でした。東京証券取引所もすぐ近くにある、まさに日本の金融が始まった一角に立っています。

銀行発祥の地の碑が伝える物語を4ステップの流れ図と4つのゆかり要素で示した概念図
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碑が伝える、1873年のできごと

この碑が記念しているのは、1873年(明治6年)に第一国立銀行がこの地で開業したできごとです。設立の中心になったのが渋沢栄一で、のちに「日本資本主義の父」と呼ばれる人物でした。建物には、三井が建てた「海運橋三井組ハウス」が使われました。これは日本で最初の本格的な銀行建築ともいわれ、洋風の堂々としたつくりだったと伝わります。

壁の銘板には「この地は明治6年6月11日わが国最初の銀行である第一国立銀行が創立されたところであります」と刻まれています。このプレートが建てられたのは昭和38年(1963年)のこと。創立からおよそ90年後に、街の記憶を留めるために据えられました。

第一国立銀行は、日本で初めての銀行であると同時に、日本初の株式会社のひとつともいわれます。多くの人から少しずつお金を集めて、大きな事業を起こす。渋沢栄一が欧州で学んだその仕組みを、まさにこの地から日本へ広げていきました。一枚の碑の向こうには、近代日本の経済の出発点が静かに横たわっているのです。

名前の頭にある「第一」にも意味があります。当時の国立銀行条例のもとでは、各地の銀行が設立順の番号を名乗っており、その記念すべき一号がこの第一国立銀行でした。番号は全国で第百五十三国立銀行まで続き、いまの七十七銀行のように、その名残を行名にとどめる銀行も残っています。

「発祥の地」の碑と、銀行の建物

「発祥の地」と聞くと、当時の銀行の建物がいまも残っていると思いがちではないでしょうか?ここにあるのは記念の碑(プレート)で、創立時の建物そのものではありません。最初の建物はすでになく、いまこの場所に建つ兜町ビルは、数えて4代目にあたります。碑だけがずっと同じ場所で、街の移り変わりを見届けてきました。

「日本初の銀行」という言い方も、碑文や銀行側に伝わる由来にもとづくものです。何をもって最初とするかは難しいところですが、近代的な銀行の出発点がこの兜町だったことは、街の成り立ちそのものが物語っています。

もうひとつ覚えておきたい補足を。兜町には「銀行発祥の地」だけでなく、株式会社や証券取引所の発祥を伝える場所も重なっています。同じ街にいくつもの「はじまり」が折り重なっているので、いま自分はどの発祥の話を見ているのかを意識すると、街歩きはぐっとわかりやすくなるでしょう。

街歩きで碑を訪ねる

碑があるのは日本橋兜町、みずほ銀行兜町支店の外壁です。建物の壁に小さくはめ込まれているので、知らなければ通り過ぎてしまうかもしれません。

歩いて数分のところには東京証券取引所や兜神社があり、渋沢栄一の邸宅跡(いまの日証館)も近くにあります。金融の歴史が詰まった一帯ですから、碑だけを目当てにするより、街全体をひとめぐりすると面白さが増すでしょう。日本の経済がここから動き出した、その手ざわりを確かめる散歩になります。近ごろの兜町は古い銀行の建物を生かしたカフェやホテルも増え、碑をたどりながらひと息つく、そんな過ごし方もできる街になりました。

Topic「国立銀行」なのに、国の銀行じゃない?

第一国立銀行の「国立」は、じつは国が経営したという意味ではありません。アメリカのナショナルバンクにならった「国立銀行条例」という法律にもとづいて、民間の人たちが設立し運営した銀行を、当時はそう呼びました。つまり日本で最初の銀行も、渋沢栄一たち民間の力で生まれたものです。名前の「国立」につられると取り違えやすい、ちょっとした落とし穴になっています。

銀行発祥の地に関するよくある質問

第一国立銀行は、いまのどの銀行につながりますか?
第一国立銀行はその後の合併などを経て、現在のみずほ銀行へと受け継がれています。碑のあるみずほ銀行兜町支店は、その発祥をいまに伝える場所です。
なぜ日本橋兜町が「銀行発祥の地」なのですか?
明治のはじめ、役人から民間に転じた渋沢栄一が、この地に日本で初めての銀行を開いたためです。兜町はそれをきっかけに、証券・金融の街として発展していきました。
銀行発祥の地の碑は、誰でも見ることができますか?
碑はみずほ銀行兜町支店の外壁にはめ込まれており、通りから見ることができます。壁の一部として小さく据えられているので、見落とさないよう探してみてください。

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