日本橋川とは
日本橋川とは、東京都心を流れ、神田川から分かれて隅田川へ注ぐ川です。江戸時代には魚河岸でにぎわう、商いと暮らしの大動脈でした。今は川面の上を首都高速道路の高架がほぼ全線にわたって覆っていますが、その高架を地下へ移し、川の上に青空を取り戻す工事が進行中です。

日本橋川の流れと、魚河岸でにぎわった岸辺
日本橋川は、千代田区と文京区の境にある小石川橋のあたりで神田川から分かれ、いくつもの橋をくぐりながら東へ進み、永代橋の近くで隅田川に合流します。日本橋のほか、雉子橋・神田橋・江戸橋・鎧橋など、名前に歴史を感じる橋が次々と架かっています。
舟で荷を運ぶのが物流の主役だった時代、川沿いには蔵や河岸が立ち並び、全国から届いた荷がここで上げ下ろしされていたのです。
なかでもこの川の岸辺は「魚河岸」として大いに栄えました。徳川家康が大坂から呼び寄せた漁師たちが、江戸城へ納めた魚の残りを日本橋のたもとで売り始めたのが起源とされ、以来300年近く江戸の台所を支えました。
活気あふれるそのようすは、浮世絵や川柳にもたびたび描かれた、日本橋を代表する名所。魚をかつぐ人々の声が朝から飛びかう、江戸でいちばんにぎやかな場所だったと伝えられています。
この漁師たちは河口の佃島に住み、保存食として小魚を煮詰めた一品が、のちに「佃煮」と呼ばれるようになったとも伝わります。
ただし魚河岸は今この場所にはありません。1923年(大正12年)の関東大震災で大きな被害を受け、1935年(昭和10年)に築地へ、2018年(平成30年)には豊洲へと移っています。日本橋のたもとには「日本橋魚市場発祥の地」の碑が残るのみです。
「日本橋川」と「日本橋」、神田川・隅田川との関係
名前が似ているため混同しやすいのですが、「日本橋川」は川、「日本橋」はその川に架かる橋を指します。日本橋は日本橋川をまたぐ数ある橋の一つ、というわけです。
また、日本橋川は神田川から枝分かれした川で、最後は隅田川に合流します。三つの川は東京都心でつながっており、日本橋川はその間をつなぐ運河のような存在です。
下流に位置する兜町は、明治に日本初の銀行や株式取引所が生まれた「日本のウォール街」。日本橋川のほとりは、近代日本の経済が動き出した場所でもありました。株式市場のニュースで耳にする「兜町」は、まさにこの一帯のこと。
橋めぐりと、変わりゆく川の風景
日本橋川の楽しみ方は、なんといっても橋めぐり。日本橋の麒麟像や獅子像を眺めたあと川沿いを歩けば、表情の違う石橋や鉄橋に次々と出会えます。
川沿いを歩くなら、どの橋から眺めるとよいでしょうか。日本橋を起点に上流や下流へ橋を一つずつたどると、石造りと鉄骨、江戸と近代が入りまじる景色を楽しめます。上流側へ進めば、明治の名建築・日本銀行本店が川のそばに姿を見せます。
今いちばんの注目は、川の上の景色が大きく変わろうとしていることです。川面を覆う首都高速道路の高架を地下へ移す工事が進み、地下ルートは2035年度、高架の撤去は2040年度の完成予定(2026年6月時点)。完成すれば、日本橋の上にぽっかりと青空が戻ります。高架が消えれば、川の水面に空や街並みが映り込む景色も戻るでしょう。
Topic日本橋川の上に、なぜ高速道路があるの?
日本の道路の起点・日本橋が架かるこの川は、長いあいだ少し不思議な景色をかかえてきました。1964年の東京オリンピックに合わせて川の上に首都高速道路が架けられ、以来半世紀以上、川面のほとんどが高架の影に入っていたのです。「川の上をまるごと高速道路が走る」という都心ならではの風景は、地下化工事の完成とともに少しずつ姿を消していきます。
日本橋川に関するよくある質問
- 神田川や隅田川と、日本橋川はどう違うのですか?
- 神田川は日本橋川が分かれ出るもとの川、隅田川は日本橋川が注ぐ先の川です。日本橋川はこの二つをつなぐ短い流れで、最終的には隅田川を経て東京湾へ向かいます。
- 日本橋川の岸辺にあった魚河岸は、今どこにありますか?
- 関東大震災のあと1935年に築地へ、2018年にはさらに豊洲へ移りました。今は豊洲市場が東京の台所を担い、日本橋には発祥の地を示す碑が残っています。
