津田信夫とは
津田信夫とは、日本橋の青銅装飾制作で主任を務めた鋳金家です。1875年に生まれ、東京美術学校で学び、橋に麒麟像や獅子像などを据える大きな制作をまとめた人物といえるでしょう。
日本橋の制作主任という役割
1910年(明治43年)5月、東京市は日本橋の青銅装飾制作を東京美術学校へ委嘱しました。当時同校の助教授だった津田の役目が、制作主任でした。
橋の装飾設計は妻木頼黄の考案で、麒麟像と獅子像の塑造原型を担った人物は渡邊長男です。津田は意匠を一人で描いた作者ではなく、複数の専門家と工場を束ねた責任者と捉えると役割を誤解しません。
鋳造は約7カ月という短期間で進められました。東京美術学校内だけでなく外部の鋳金家の工場も使われたと知ると、1911年(明治44年)に架け替えられた日本橋の見え方も変わるでしょう。
日本橋トピック♪麒麟像は「一人の作者」の作品ではない
日本橋の装飾は、設計、塑造原型、鋳造をそれぞれの専門家が担う共同制作でした。津田信夫の「制作主任」という肩書は、街の象徴が多くの技術を束ねて生まれたことを伝えています。
関連用語
津田信夫に関するよくある質問
- 津田信夫と香取秀真にはどのような接点がありますか?
- 日本橋の青銅装飾では、津田が制作主任を務め、香取の工場も鋳造に参加しました。のちに二人は帝展への工芸部設置にも尽力しています。
- 津田信夫は日本橋の仕事以外に何をした人物ですか?
- 東京美術学校で後進を育て、帝展に工芸部を設けるための活動にも関わりました。1927年の工芸部設置後は委員や審査員を務めています。
