鎧河岸とは
鎧河岸とは、かつて日本橋川左岸の旧小網町二・三丁目、現在の日本橋小網町1・8・9番沿いに続いていた河岸です。読みは「よろいがし」。思案橋から箱崎橋までの区間にあたります。
船積問屋と米問屋が並んだ河岸
鎧河岸には内陸方面への輸送を担う船積問屋や米問屋が多く、高瀬舟が水面を埋めるほど往来したと伝わります。府内36軒の船積問屋のうち22軒が旧小網町二丁目に集まったという記録からも、物流拠点の規模がうかがえるでしょう。1877年9月10日、この川沿いに「鎧河岸」という正式名称が付きました。
日本橋トピック♪「鎧が淵」に残る源義家の伝説
鎧の名には、源義家が下総国へ渡ろうとした際、暴風を鎮めるため鎧を水中へ投じたという伝説があります。無事に渡れた跡は「鎧が淵」と呼ばれたと伝えられ、河岸名をたどる楽しみが増すのではないでしょうか。
関連用語
鎧河岸に関するよくある質問
- 鎧河岸と鎧橋は同じものですか?
- 同じものではありません。鎧河岸は日本橋川左岸に続いた河岸地の名称で、鎧橋は日本橋川に架かる橋の名称です。
- 鎧河岸と鎧の渡しはどのような関係ですか?
- 鎧河岸の周辺には、1872年まで小網町二丁目・三丁目の間と対岸の南茅場町を結ぶ鎧の渡し(鎧之渡)がありました。河岸は荷揚げや問屋が集まった場所、渡しは川を横断する交通手段です。

