横山町馬喰町新道通りとは
横山町馬喰町新道通りとは、中央区が日本橋馬喰町一丁目5番から日本橋横山町10番までに設定している道路愛称名です。読みは「よこやまちょうばくろちょうしんみちどおり」です。
横山町と馬喰町の境にある通り
中央区の道路愛称名一覧では、横山町馬喰町新道通りは平成元年度に設定され、歩道欄は「なし」と示されています。日本橋横山町と日本橋馬喰町という二つの町名を含み、通りの位置を伝える愛称です。
一帯は衣料品や日用品などを扱う問屋街として発展してきました。中央区の商店街一覧には「横山町馬喰町新道通り会」が掲載され、道路の愛称が商店街活動の名称にも使われています。訪問時は通り名に加えて店舗名と番地を確認するのがポイント。
問屋街の催しとも結び付く場所
横山町馬喰町新道通り会は、大江戸問屋祭りの主催団体。公式サイトが「一日限りの問屋体験」と案内するとおり、問屋での買い物を一般の来場者も体験できる催しです。訪れてみたいときは、大江戸問屋祭りの公式案内で日程を確認してください。
問屋は店舗ごとに営業形態が異なるもの。通りに面しているから常に小売をしているとは限らないため、買い物が目的なら各店の案内も確かめると安心でしょう。
日本橋トピック♪「板新道」から受け継がれた通り名
東京問屋連盟の沿革によると、この道はもともと溝に板を張り、その上を通行したことから「板新道」と呼ばれていました。明治40年ごろ、近くの玩具店から出た火が板に燃え移ったこともあり、溝のふたを石や鉄へ替えて「石新道」「鉄新道」に。関東大震災後の拡幅・舗装を経て「新道通り」が定着したという変遷です。
横山町馬喰町新道通りに関するよくある質問
- 「馬喰町」という町名は何に由来しますか?
- 国立国会図書館は、馬市が立ち、牛馬の売買や治療を行う博労が多く住んだため、または初音馬場を博労頭が管理したためとする説を紹介しています。
- 横山町の問屋街はどのように発展しましたか?
- 中央区は、江戸時代に旅籠街へ泊まる旅人を相手に商売した名残が、問屋街の発展につながったと紹介しています。

