山伏井戸とは
山伏井戸とは、江戸時代に、現在の日本橋久松町の東側にあたる場所にあった井戸の呼び名です。読みは「やまぶしいど」。国学者・賀茂真淵が晩年を過ごした住まい「縣居」がどこにあったかを伝える手掛かりとして、中央区の文化財解説に名を残しています。
賀茂真淵の縣居とどうつながる?
井戸と賀茂真淵のつながりは、どのように残ったのでしょうか。中央区によると、山伏井戸は信濃国須坂藩堀家上屋敷、現在の日本橋久松町7~10番にあたる場所の東にありました。賀茂真淵は明和元年(1764年)、井戸付近に屋敷を持つ旗本細田家から百坪の土地を借り、簡素な家を建てて「縣居」と名付けます。明和6年(1769年)に亡くなるまで、そこで『万葉考』などを手掛けました。中央区が案内する都指定旧跡は日本橋浜町一丁目1番付近ですが、街並みの変化により縣居の跡地は推定にとどまります。
日本橋トピック♪簡素な住まいが江戸の名所になった
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山伏井戸に関するよくある質問
- 山伏井戸という名前の由来は分かりますか?
- 中央区の解説は「山伏井戸」という呼称があったことを記していますが、名前の由来には触れていません。
- 山伏井戸そのものが都指定文化財ですか?
- 中央区が都指定旧跡として案内しているのは「賀茂真淵縣居の跡」です。山伏井戸は、その位置を伝える歴史的な呼び名として解説に登場します。

