薬研堀不動院とは
薬研堀不動院とは、東京都中央区東日本橋にある、お不動さま(不動明王)を本尊とする寺院で、川崎大師の東京別院にあたります。目黒・目白と並んで「江戸三大不動」の一つに数えられ、年末の「歳の市」でにぎわう寺として親しまれてきました。神社ではなくお寺なので、日本橋七福神には含まれません。
正式名称:大本山川崎大師平間寺東京別院 薬研堀不動院(公式サイトでの表記)
お不動さまが旅してきた、長い道のり
本尊の不動明王は、はるか昔の保延3年(1137年)に、興教大師・覚鑁(かくばん)上人が刻んだものと伝わります。もとは紀州(今の和歌山県)の根来寺(ねごろじ)に安置されていました。
転機は天正13年(1585年)。豊臣秀吉が根来寺を攻めた戦火のなか、大印僧都という僧がこの像をつづら(編んだ籠)に納めて東国へ逃れます。そして天正19年(1591年)、隅田川のほとりに地を定めてお堂を建てたのが、薬研堀不動院の始まりです。その後、明治25年(1892年)に川崎大師の東京別院となり、今に至ります。和歌山で生まれたお不動さまが、戦乱を越えて日本橋にたどり着いた、というわけです。
年末の風物詩「歳の市」、そして街のなりたち
薬研堀不動院といえば、歳の市(としのいち)。歳の市とは、年の暮れに正月用品を売り買いする市のことで、江戸時代の中頃からこの寺で続いてきました。江戸の数ある歳の市の締めくくりにあたり、一年の終わりを告げる風物詩として知られます。
もう一つ、この一帯は順天堂大学の起源とされる場所でもあります。天保9年(1838年)に蘭方医(オランダ医学の医師)の佐藤泰然が、この薬研堀で蘭医学塾「和田塾」を開いたのがその始まり。泰然はのちに下総佐倉(今の千葉県)へ移って「順天堂」を開き、それが現在の順天堂大学へとつながりました。お不動さまの信仰と近代医学の出発点が同じ場所にあるというのも、歴史の重なる日本橋らしい一面でしょう。
Topic七味唐辛子は、この「薬研堀」で生まれた
うどんやそばに欠かせない七味唐辛子。実はその発祥の地が、この薬研堀なのです。「薬研堀」という地名は、漢方薬を粉にする薬研(やげん)という道具に似た形の堀があったことに由来します。寛永2年(1625年)、この地で初代からし屋徳右衛門が、漢方の考えをもとに唐辛子へさまざまな薬味を合わせた「七色唐辛子」を売り出したと伝わります。注意したいのは、七味を生んだのはあくまで「薬研堀」という土地であって、不動院そのものが作ったわけではないこと。同じ地名を分け合う、ご近所どうしの物語というわけです。
薬研堀不動院に関するよくある質問
- 薬研堀不動院と七味唐辛子の「やげん堀」は同じものですか?
- 別のものです。共通するのは「薬研堀」という地名で、この地で七味唐辛子が生まれました。七味を作ったのは土地で創業した店であり、お寺そのものが作ったわけではありません。
- 「江戸三大不動」のあと二つはどこですか?
- 目黒不動(瀧泉寺)と目白不動です。この二つと並んで、薬研堀不動院が江戸三大不動の一つに数えられます。
- 川崎大師とはどんな関係ですか?
- 薬研堀不動院は、神奈川県川崎市にある川崎大師(平間寺)の東京別院です。明治25年から別院となり、川崎大師の東京での拠点という位置づけになっています。
