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常盤会久松邸跡とは

常盤会久松邸跡とは、旧松山藩主久松家が日本橋浜町で行った、旧藩士子弟への学業支援を伝える旧跡です。久松家の浜町邸と、1883年に設立された常盤会の活動が重なる場所でした。

東京で学ぶ若者を支えた浜町の邸宅

どのような支援が行われたのでしょうか。愛媛県総合科学博物館の研究報告によると、久松家は学資を支給し、日本橋浜町邸内の長屋を無償で貸していました。明治16年(1883年)には常盤会を設立し、松山から上京して学ぶ旧藩士の子弟を支えます。

俳人・歌人の正岡子規も、翌1884年に給費生となった一人です。ただし、現地に久松邸の建物が残っているわけではありません。説明板から、浜町が松山出身者の東京での学びを支えた場所だったと知る旧跡です。

説明板は新大橋通り沿いにあります。中央区の観光地図で位置を確かめ、明治座浜町公園と結んで歩けば、浜町の歴史と現在の街並みを見比べられるでしょう。

日本橋トピック♪第2号給費生は化学者の小川正孝

常盤会は文学者だけを支えたのでしょうか。第2号給費生は、後に化学者となった小川正孝でした。正岡子規だけでなく、文学と科学の異なる分野へ進む若者を支えた制度だったことが分かります。

常盤会久松邸跡に関するよくある質問

常盤会とはどのような組織ですか?
旧松山藩主の久松家が1883年に設立した、旧藩士子弟の東京での学業を支える組織です。学資の支給などを行いました。
正岡子規と久松邸にはどんな関係がありますか?
正岡子規は上京後に浜町の久松邸内で暮らした時期があり、1884年には常盤会の給費生の一人に選ばれました。

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