震災復興橋梁とは
震災復興橋梁とは、1923年9月1日の関東大震災後、帝都復興事業などによって東京で改架・新設された橋梁群です。震災で損傷した交通基盤を戻すだけでなく、耐震性・耐火性を高め、周辺景観と調和する個別のデザインも与えられました。
旧日本橋区・旧京橋区に103橋
中央区の文化財解説によると、昭和初期までに改架を含む425橋の震災復興橋梁が架けられ、そのうち旧日本橋区・旧京橋区に103橋がありました。震災発生後に設置された帝都復興院を起点に、1924年からは復興局の下で事業が進みます。道路、運河、公園、区画整理と一緒に進められた都市復興の一部で、日本橋川や隅田川の水辺に現代まで続く骨格をつくったのです。同じ復興計画からは、昭和通り、浜町公園、清洲橋なども生まれました。
現存する橋と図面が伝えるもの
中央区には、豊海橋、久安橋、弾正橋、南高橋、三吉橋、亀井橋、千代橋の図面が、「現存する7橋」の資料として残ります。架け替えられた橋や、河川の埋め立てで廃橋となった橋の図面も含め、16橋分・197葉が区民有形文化財に登録されました。実物と設計図面の両方から復興期の土木技術を読み取れる、まちの記録です。
日本橋トピック♪同じ復興橋梁でも、形はひとつではない
震災復興橋梁は、共通の規格で同じ形にした橋群ではありません。1927年竣工の豊海橋は、鋼材が格子状に並ぶフィーレンデール構造。中央区は、隣接する永代橋の重厚なアーチを引き立てるデザインだったと説明しています。水辺で橋ごとの輪郭を見比べると、復興計画が実用性だけを求めていなかったことに気づくでしょう。
関連用語
震災復興橋梁に関するよくある質問
- 「震災復興橋梁」は個々の橋の正式名ですか?
- 個々の橋名ではなく、関東大震災後の復興事業で改架・新設された橋梁群の呼び名です。個々には豊海橋や清洲橋などの橋名があります。
- 中央区に現存する震災復興橋梁はどれですか?
- 中央区は、豊海橋・久安橋・弾正橋・南高橋・三吉橋・亀井橋・千代橋の7橋を現存する橋として挙げています。図面が区民有形文化財に登録された16橋のうち、残る9橋は架け替えや河川の埋め立てで姿を消しました。

