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佐藤泰然とは

佐藤泰然とは、江戸時代後期の蘭方医で、順天堂の創立者・初代堂主となった1804〜1872年の人物です。江戸の薬研堀で蘭医学塾「和田塾」を開いたのは1838年のこと。

20代後半から蘭方医学へ

泰然が蘭方医学を志したのは20代後半。江戸で学んだ後、1835年から3年間長崎に留学し、オランダ医学を修めます。この学びを持ち帰ったことが、江戸での治療と教育につながりました。

薬研堀の「和田塾」

長崎から戻った泰然は、江戸の薬研堀に住み、外科を重視する蘭医学塾を開きます。その場所は、後の日本橋薬研堀町、現在の東日本橋にあたる地域。当時は母方の姓「和田」を名乗っていたため、塾名も「和田塾」。この塾が、後の順天堂へつながる出発点となりました。

「順天堂」の名は佐倉で生まれた

1843年、泰然は佐倉へ移り、蘭医学塾兼診療所「順天堂」を開きます。薬研堀の和田塾と佐倉の順天堂は別の名前ですが、医学教育の流れは連続していました。東日本橋薬研堀不動院境内には、順天堂の始まりを記念する碑が建っています。

佐倉では西洋外科に重点を置いて門人を育て、1853年には佐倉藩医になりました。薬研堀で始めた教育と治療が、佐倉でより大きな流れへ育ったといえるでしょう。

日本橋トピック♪同じ日の文書に「佐藤泰然」と「和田泰然」

佐倉市に残る1843年の売渡証文には、同じ日付なのに、あて先が「佐藤泰然」の文書と「和田泰然」の文書があります。二つの姓を使っていたことが実物史料から分かる、和田塾の名を読み解く手がかりです。

佐藤泰然に関するよくある質問

和田塾と順天堂は同じ塾ですか?
医学教育の流れはつながっていますが、場所と名前が異なります。佐藤泰然が1838年に日本橋薬研堀で開いたのが和田塾、1843年に佐倉で開いたのが順天堂です。
佐藤泰然の塾が「和田塾」と呼ばれたのはなぜですか?
泰然が当時、母方の姓である「和田」を名乗っていたためです。1843年の売渡証文には「佐藤泰然」と「和田泰然」の両方が確認できます。

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