加藤肆郎とは
加藤肆郎とは、1933年に新大橋西詰へ建てられた関東大震災避難記念碑に、発起人の一人として名を刻まれた日本橋区の人物で、読みは「かとうしろう」です。
新大橋で助かった記憶を碑へ
関東大震災避難記念碑は、震災後の火災から新大橋へ逃れて助かった人々の記憶を伝える石碑。新大橋避難記念会が毎年9月1日に祭典を催し、震災から10年となる1933年9月2日に建立しました。
加藤の名は、碑の裏面にほかの発起人と並んで刻まれています。さらに、個人や商店、組合など300名以上の寄付者も記録されており、この碑が地域の多くの人に支えられた記念事業だったことが分かります。確認できる役割は発起人の一人までで、職業や記念会での詳しい担当は明らかになっていません。
日本橋トピック♪「肆郎」はどう読む?
中央区の文化財資料では「肆郎」に「しろう」と読みが付けられています。「肆」は音読みで「シ」と読み、数字の「四」の代わりに使われることもある漢字。ただし、加藤肆郎の名前が付けられた由来までは確認されていません。
関連用語
加藤肆郎に関するよくある質問
- 加藤肆郎は新大橋避難記念会の中心人物ですか?
- 中央区の解説が記念会の中心人物と明記するのは法木徳兵衛です。加藤肆郎について公式資料で確認できるのは、関東大震災避難記念碑の発起人の一人だったことです。
- 加藤肆郎は関東大震災で新大橋へ避難した本人ですか?
- 中央区の資料から確認できるのは、関東大震災避難記念碑の発起人の一人だったことです。震災時の加藤肆郎個人の行動までは記されていないため、新大橋へ避難した本人とは断定できません。

