本材木町「源頼義」の山車とは
本材木町「源頼義」の山車とは、江戸の山王祭で本材木町が用いた源頼義を主題とする山車です。読みは「ほんざいもくちょうみなもとのよりよしのだし」。本材木町は、楓川の西岸に八か町が連なっていた旧町です。
前九年の役を戦った源頼義
源頼義は、陸奥で起きた安倍氏の反乱を、子の義家とともに清原氏の力を借りて鎮めた武将です。国立国会図書館は、この戦役を前九年の役として紹介しています。日枝神社の広報誌『山王』の論考によると、源頼義は文政7年(1824年)の番付で三十七番の主題。佐々木四郎や源頼朝と同じ歴史・物語上の人物に分類されています。山車の姿は、歌川芳藤が描いた立版古にも「本材木町『源頼義』」の名で残ります。
日本橋トピック♪同じ番号でも人形は替わることがあった
『山王』の論考が挙げる文政7年の番付では、二十七番の主題は源頼光と浦嶋太郎でした。一方、佐倉に伝わる山王祭廿七番「日本武尊」も、同じ廿七番の山車です。同じ番号なのに、なぜ主題が違うのでしょうか。論考によると、山車組の中の町々が人形を作って保管していたため、一つの組に複数の人形があり、祭礼によって出す人形を替えていました。
本材木町「源頼義」の山車に関するよくある質問
- 源頼義と源頼光は同じ人物ですか?
- 別の人物です。『山王』の論考が挙げる文政7年(1824年)の番付でも、源頼光は二十七番、源頼義は三十七番の主題として別々に載っています。
- 本材木町の源頼義の山車は今も残っていますか?
- 日枝神社の広報誌『山王』の論考は、天下祭の花形だった山車人形の多くが明治以降に失われたと述べています。本材木町の源頼義は、歌川芳藤が描いた山車の立版古に名が残っています。

