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五郎兵衛町とは

五郎兵衛町とは、鍛冶橋御門の外側にあった歴史地名です。読みは「ごろべえちょう」。旧町域は現在の中央区八重洲二丁目に重なります。

草創名主の名を残した町

町は狩野屋敷の南を東西に延びる両側町でした。南の京橋北紺屋町、東の畳町、西の外堀端の通りという位置関係です。町名は、ここに居宅を構えた草創名主・中野五郎兵衛に由来し、その子孫も名主を世襲しました。

中央区立図書館の町名変遷表では、五郎兵衛町は槇町を経て現在の八重洲へつながります。外堀や鍛冶橋が姿を消し、住所も変わった今、江戸の町づくりを担った人物と土地の関係を伝える歴史地名といえるでしょう。

日本橋トピック♪江戸の買物案内に紙問屋

江戸の商店を集めた文政7年(1824年)の案内書『江戸買物独案内』には、五郎兵衛町の紙問屋・伊勢屋作兵衛が記録されています。この一店だけで町全体の業種は決められないとはいえ、旧町名の中で実際に営まれた商いをたどれる一例でしょう。

関連用語

五郎兵衛町に関するよくある質問

五郎兵衛町の町名は何に由来しますか?
町の草創名主だった中野五郎兵衛の居宅があったことに由来します。平凡社の地名事典によると、その子孫も名主を世襲しました。
五郎兵衛町は鍛冶橋御門の内側にあったのですか?
内側ではなく、鍛冶橋御門外にあたります。町は外堀端の通りから東の畳町へ向かって延びていました。

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