青物町とは
青物町とは、江戸橋の南側にあった日本橋の旧町名です。読みは「あおものちょう」。『日本歴史地名大系』は、万町の東で、通一丁目の北から東の海賊橋へ抜ける街路に沿った両側町とし、現在の中央区日本橋一丁目に当たるとしています。
小田原から移ってきた町
『日本歴史地名大系』によると、青物町は天正18年(1590年)、徳川氏が江戸へ入るときに小田原城下の青物町をこの地へ移して開かれ、小田原の曾我小左衛門が名主になりました。町の名は土地から生まれたのではなく、家康とともに小田原から運ばれてきたわけです。江戸のまちづくりが、人と町ぐるみの移転で進められたことを示す町名といえるでしょう。
音羽町とまとまり、江戸橋へ
中央区立図書館の町名変遷表を左から右へたどると、慶応3年(1867年)の青物町と音羽町は、明治4年(1871年)6月段階の青物町にまとまります。その後、大正12年(1923年)の関東大震災後に行われた区画整理の欄では江戸橋、現町名の欄では日本橋へつながります。ただしこの表は丁目を省いて書く決まりなので、現在の住所を探すときは日本橋一丁目まで見てください。表が示すのは町名の系譜であり、旧町域と現在の街区が完全に重なるという意味ではありません。
日本橋トピック♪町の東の端は、いまも親柱で確かめられる
青物町に関するよくある質問
- 「両側町」とはどういう意味ですか?
- 街路をはさんだ向かい側の家並みと合わせて、一つの町とする数え方です。道が町を分けるのではなく、道が町の真ん中を通っていると考えると分かりやすくなります。
- 青物町が江戸橋になった正確な年は分かりますか?
- 確認した町名変遷表は、大正12年の震災後に行われた区画整理の段階として江戸橋を示しますが、変更の完了年までは記載していません。

