岡本玄冶とは

岡本玄冶とは、江戸時代前期に三代将軍 徳川家光らに仕えた幕府の医師(侍医)です。当代を代表する名医のひとりとされ、日本橋に構えた屋敷が、のちの地名「玄冶店(げんやだな)」のもとになりました。地名そのものの由来は、別の用語ページでくわしく取り上げています。

名医の家を継ぎ、将軍の侍医に

岡本玄冶(1587〜1645年)は京都に生まれました。慶長7年(1602年)、当時の名医曲直瀬玄朔(まなせげんさく)の門に入り、その娘を妻に迎えます。曲直瀬家は、名医 曲直瀬道三以来の医術の名門。玄冶はその流れをくむ医師として腕を磨きました。

やがて法眼(ほうげん)・法印(ほういん)という医師として高い位を授かり、「啓迪院(けいてきいん)」と号します。元和9年(1623年)には徳川家光に従って江戸へ下り、将軍家の健康を預かる侍医となりました。

日本橋トピック♪将軍の病を治して、ほうびは1000石

寛永14年(1637年)、玄冶は家光の病を治した功により、翌年に1000石を与えられたと伝わります。1000石といえば、上級の武士(旗本)に並ぶほどの破格の待遇。医師がここまで重く遇されたのは、当時の名医がどれほど頼りにされていたかの表れではないでしょうか。玄冶の名と医家としての格は、子孫にも代々受け継がれていきました。

岡本玄冶に関するよくある質問

岡本玄冶と「玄冶店」は、どういう関係ですか?
玄冶が日本橋に構えた屋敷の跡地が、のちに「玄冶店(げんやだな)」という地名のもとになりました。人物の名がそのまま町の通称になったものです。
「啓迪院」とは何のことですか?
玄冶が法印という高い位に叙されたときに許された院号(呼び名)です。玄冶の子孫もこの「啓迪院」と「玄冶」の名を代々受け継ぎました。

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