魚河岸水神社加茂能人形山車とは
魚河岸水神社加茂能人形山車とは、江戸の山王祭で曳かれた、日本橋魚河岸のシンボル的な山車です。日本橋の魚市場を守る神様「魚河岸水神社」にちなみ、頂に加茂能の人形を載せた、堂々たる三層づくりの曳き物でした。今は中央区の区民有形民俗文化財に指定され、大切に伝えられています。
長い名前を分けて読むと分かりやすい
名前が長くて身構えてしまいますが、分けて読むと意味がすっと入ってきます。「魚河岸水神社」+「加茂能人形」+「山車」の三つです。魚河岸水神社は、日本橋の魚市場の守り神として神田明神(神田神社)の境内に祀られてきた神様。その神様にささげる祭りで、加茂能(京都の賀茂をめぐる能)にちなむ人形を載せて曳かれたのが、この山車というわけです。
山車はどんな姿だったのでしょうか。牛が曳く二輪の車に三層を重ね、いちばん上に人形、中ほどを水引幕で飾り、下では囃子(はやし)が奏でられました。江戸の山王祭の行列では十番目を進む、魚河岸を代表する晴れ姿。日本橋の活気をそのまま映したような曳き物でした。
震災で焼け、模型から復元された
江戸以来受け継がれてきた山車は、大正12年(1923年)の関東大震災で焼失してしまいます。日本橋の魚市場もこの震災を機に築地へ移り、1935年(昭和10年)に築地市場が開かれました。失われた山車がよみがえったのは、それから時を経た昭和30年(1955年)のこと。魚河岸の人々が築地市場開設20周年を記念し、7メートルを超える山車を復元しました。
日本橋トピック♪復元の手がかりは「10分の1の模型」だった
山車そのものは震災で燃えてしまったのに、なぜ正確に復元できたのでしょうか。決め手になったのは、明治期に人形師が作った10分の1の精巧な模型でした。この小さな模型が、いわば失われた山車の”設計図”の役割を果たしたのです。模型もまた中央区の文化財に指定され、本物とミニチュアの両方が今に伝わるという、ちょっと珍しい組み合わせになっています。
魚河岸水神社加茂能人形山車に関するよくある質問
- 魚河岸水神社加茂能人形山車は、今も見ることができますか?
- 昭和30年に復元された山車が中央区の区民有形民俗文化財として伝えられています。祭礼の折などに披露されることがあり、最新の公開予定は中央区の情報で確認するのが確実です。
- なぜ「加茂能人形」と呼ばれるのですか?
- 山車の頂に、京都の賀茂にまつわる能「加茂(賀茂)」にちなんだ人形が載せられていることに由来します。
