江戸秤座跡とは

江戸秤座跡とは、江戸時代に秤(はかり)の製作・販売や検査を一手に担った役所「秤座」が置かれていた跡地です。所在は中央区日本橋三丁目(江戸時代の箔屋町)。重さの公式な基準を管理した役所で、いわば商いの「重さの番人」でした。

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秤座は「重さのものさし」を守る役所

そもそも度量衡とは、長さ・体積・重さをはかる公式な基準のこと。秤座はそのうち重さ(秤)の基準を受け持った役所です。秤の製作・販売・修理だけでなく、規格外の不正な秤(悪秤)を没収し、秤を検査する秤改(はかりあらため)まで独占的に行いました。

そもそも、なぜ国がわざわざ秤を管理したのでしょうか。商売では、重さをほんの少しごまかすだけで損得が大きく動いてしまいます。だからこそ、誰がはかっても同じ重さになる仕組みを国が管理する必要がありました。秤座は、その信頼を支えた縁の下の役所といえるでしょう。

守随家と、東西の分担

江戸秤座を担ったのは守随家です。もとは甲斐武田家のもとで秤づくりを業としていた一族で、徳川家康の関東入国(天正18年=1590年)に伴って江戸へ移り、家康の許しを得て幕府公認の秤商となりました。

承応2年(1653年)には、東国33か国を江戸の守随家(江戸秤座)、西国33か国と壱岐・対馬を京都の神家(京都秤座)が受け持つ東西の分担体制が定まります。この特権的な仕組みは、明治8年(1875年)の度量衡取締条例まで続き、秤座の歴史に幕を下ろしました。跡地は中央区の区民史跡になっています。

Topic勝手な秤は没収。守随家は「取り締まる」側でもあった

守随家の役割は、秤を作って売るだけではありませんでした。許可なく作られた不正な秤を見つけて没収する権限まで持っていたのです。つまり、ものづくりの担い手であると同時に、重さのルールを守らせる取締りの役も兼ねていました。東国一帯の「重さの番人」を一手に引き受けていたと考えると、その存在の大きさが見えてきます。

江戸秤座跡に関するよくある質問

秤座は何をする役所だったのですか?
秤の製作・販売・修理や検査を独占的に担い、規格外の不正な秤を取り締まりました。商いで重さがごまかされないよう、重さの基準を守る役割でした。
守随家とはどんな一族ですか?
江戸秤座を担った一族です。徳川家康に公認されて幕府の秤商となり、東国の秤を受け持ちました。西国は京都の神家が担当しました。
今は何が残っていますか?
役所そのものは残っていません。中央区日本橋三丁目に、区民史跡として跡地を示す説明板が立っています。

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