日本橋薬研堀町とは
日本橋薬研堀町とは、今の東日本橋一丁目のあたりにあった旧町名です。住居表示の実施でその名は使われなくなりましたが、「薬研堀」という地名は今もさまざまな形で受け継がれています。読みは「やげんぼりちょう」。
目次
「薬研堀」ってどんな堀?
薬研(やげん)とは、漢方薬の材料を細かくすりつぶすための、舟のような形をした道具のこと。隅田川のほとりにあった堀が、ちょうどこの薬研に似た形だったことから「薬研堀」と呼ばれ、そのまま町名になったと伝えられます。堀そのものは明治36年(1903年)に埋め立てられて姿を消し、町名も住居表示で東日本橋一丁目にまとめられました。
Topic堀は消えても、名は生き続けている
薬研堀という堀も町名も今はありませんが、その名は街のあちこちに残っています。たとえば、お不動さまで知られる薬研堀不動院。そして、うどんやそばに欠かせない七味唐辛子も、この薬研堀の地で生まれたと伝えられ、「やげん堀」の名で親しまれてきました。消えた堀の名が、お寺や名物となって今も生きている、というわけです。
関連用語
日本橋薬研堀町に関するよくある質問
- 薬研堀という堀は今も残っていますか?
- 残っていません。明治の終わりごろに土で埋められ、なくなりました。今は地名や薬研堀不動院などに、その名がとどめられています。
- 薬研堀不動院は薬研堀町にあったお寺ですか?
- 旧薬研堀町をふくむ、今の東日本橋にある寺院です。地名の「薬研堀」を名に残し、川崎大師の東京別院として知られています。
