用語 街・地名

一石橋とは

一石橋とは、東京都中央区の日本橋川に架かる橋で、日本橋本石町の側と八重洲・呉服橋の側を結んでいます。読みは「いちこくばし」。江戸城の外堀と日本橋川が出会うあたりにあり、すぐ近くには日本橋や常磐橋など名の知れた橋が連なります。橋の袂には、江戸時代の暮らしを伝える石碑も残る、味わい深い橋です。

目次

「一石」という風変わりな名前の由来

変わった橋名には、いくつかの説が知られています。よく語られるのが言葉遊び(洒落)の説です。橋の北側に金座を預かる後藤庄三郎、南側に呉服を扱う後藤縫殿助という、ふたりの「後藤」の屋敷があったとか。後藤を「五斗(ごと)」に掛け、五斗と五斗を合わせれば一石(いっこく)になることから一石橋と呼ばれた、という洒落だと伝えられています。

米の量でいう一石は、おおよそ大人一人が一年に食べる量にあたります。五斗が二つで一石、という昔の単位感覚がそのまま地口になっているわけです。もう一つ、幕府が古い銭を回収する際にこの橋で米と引き換えた史実を由来とする説も。どれが正しいと断定はされていません

「八ツ見橋」とも呼ばれた・近くの橋との違い

一石橋には、江戸時代に「八ツ見橋(やつみのはし)」というもう一つの呼び名がありました。この橋の上から常盤橋・銭瓶橋・道三橋・呉服橋・日本橋・江戸橋・鍛冶橋、そして一石橋自身の八つの橋を見渡せたことに由来するとされています。水路が縦横に走っていた江戸の街ならではの眺めでした。

近くには常磐橋や西河岸橋もあり、名前が似ているため混同しがち。一石橋は日本橋川に架かる橋そのものを指す名前で、地名や駅名ではない点も押さえておくと迷いません。日本橋川沿いを歩けば、橋ごとに表情の違いが楽しめるでしょう。

橋の袂に残る、江戸の名残

一石橋の見どころは、橋の袂に立つ一石橋迷子しらせ石標(まよいごしらせいしじるべ)」でしょう。安政4年(1857年)に近隣の町人たちが資金を出し合って建てた、迷子(尋ね人)のための情報掲示板にあたります。正面には「満よひ子の志るべ」と刻まれ、今は東京都の指定有形文化財。あわせて、大正期の花崗岩の親柱も橋の袂に保存されています。

Topicスマホもない時代、迷子はどうやって探した?

橋の袂の迷子しらせ石標は、いわば江戸版の伝言板です。安政4年(1857年)、西河岸町の家主17人が南町奉行所に願い出て建てたもの。柱の右側面には「志らす類方(しらするかた=知らせる方)」、左側面には「たづぬる方(尋ねる方)」と彫られています。子どもとはぐれた親は特徴を書いた紙をこの面に貼り、保護した人はもう一方の面に貼って、知らせ合ったのだとか。人探しが難しかった時代に、町の人々が助け合った仕組みが、そのまま石に残っているのです。

一石橋に関するよくある質問

一石橋と大阪の日本橋は関係がありますか?
関係ありません。一石橋は東京都中央区の日本橋川に架かる橋です。大阪市の「日本橋(にっぽんばし)」とは別の場所で、本用語集は東京の日本橋エリアを扱っています。
一石橋は今も渡れますか?
日本橋川に架かる現役の橋なので、今も歩いて渡れます。江戸時代の木橋とは姿が変わっていますが、橋の袂には大正期の親柱が当時の名残として保存されています。
一石橋の親柱や迷子しらせ石標は誰でも見られますか?
橋の袂に立っているので、料金はかからず自由に見られます。大正期の花崗岩の親柱と、安政4年(1857年)建立の迷子しらせ石標がいずれも文化財として残っています。
目次