【必見】西郷隆盛の屋敷跡は日本橋人形町!千疋屋の逸話や周辺観光について【ツアーにもおすすめ】

こんにちは!とーんと♡日本橋編集部です。
日本橋人形町といえば、老舗のグルメや風情ある街並みが魅力ですが、実は幕末の英雄・西郷隆盛が暮らした場所でもあることをご存知でしょうか?
「西郷さんといえば鹿児島や、上野公園の銅像じゃないの?」
そう思われるのも無理はありません。しかし、ここ日本橋には、彼の意外な素顔や、あの有名老舗店との心温まるエピソードが眠っているのです。
今回は、2025年現在の最新情報も交えながら、西郷隆盛の屋敷跡地と、その周辺で楽しめる大人の散策コースをたっぷりとご紹介します。歴史の息吹を感じながら、新しい日本橋の魅力を発見しに行きましょう。
【今さら聞けない】そもそも西郷隆盛は何をした人?
西郷隆盛とは、幕末から明治初期にかけて日本の近代化を推し進めた、薩摩藩(現在の鹿児島県)出身の武士であり政治家です。
1828年に鹿児島県で生まれた西郷隆盛は、幼馴染の大久保利通らと共に激動の時代を駆け抜けました。彼の生涯は、単なるエリート街道ではなく、挫折と復活の連続でした。まずは、彼が成し遂げた偉業と、その人間形成に影響を与えたエピソードをおさらいしましょう。
明治維新を成功に導いた「維新の三傑」
西郷隆盛が歴史に名を残す決定打となったのは、以下の4つの大きな出来事における主導的な役割です。
西郷隆盛の主な功績
これらはすべて、現在の日本の基礎を作るために不可欠な出来事でした。
- 薩長同盟(1866年):
犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩の手を結ばせ、倒幕への大きな流れを作りました。 - 戊辰戦争(1868年):
旧幕府軍と新政府軍の戦いにおいて、新政府軍の参謀として指揮を執りました。 - 江戸城無血開城(1868年):
勝海舟との会談により、江戸総攻撃を中止。100万人の江戸市民を戦火から救った、世界史稀に見る平和的な政権移譲です。 - 明治維新(1868年〜):
廃藩置県などを断行し、中央集権国家の土台を築きました。
特に「江戸城無血開城」は、西郷隆盛の決断力がなければ、今の東京の姿はなかったかもしれないと言われるほど重要な局面でした。彼の判断基準には常に「民の命を守る」という強い信念があったのです。
【昔と今の違いも】日本橋の歴史を江戸日本橋からまとめてみましたという記事でも触れていますが、江戸から明治へと移り変わる激動の時代、ここ日本橋もまた、大きな変化の渦中にありました。
2度の島流しから這い上がった不屈の精神と「敬天愛人」
西郷隆盛の人格を決定づけたのは、人生で2度も経験した過酷な「島流し」です。
エリート街道をひた走ったイメージがあるかもしれませんが、実は30代前半という働き盛りの時期に、奄美大島と沖永良部島へ流罪となっています。特に2度目の沖永良部島での生活は壮絶を極めました。
| 奄美大島(1回目) | 比較的自由な生活が許され、現地で妻を娶り子供も授かりました。「愛加那(あいかな)」との生活はドラマでも有名ですね。 |
| 沖永良部島(2回目) | 吹きさらしの牢獄に入れられ、食事も満足に与えられない極限状態。死を覚悟するほどの環境でした。 |
しかし、沖永良部島では、西郷隆盛の人柄に感銘を受けた島役人の土持政照(つちもちまさてる)が、自らの危険を顧みず座敷牢を作って待遇を改善しました。この極限状態の中で、西郷は自分と向き合い、天を敬い人を愛する「敬天愛人(けいてんあいじん)」の思想を確立したと言われています。
ただ強いだけでなく、弱者の痛みがわかる優しさと、逆境でも折れない心。これこそが、今なお多くの日本人に愛される理由なんですね。
西郷隆盛の屋敷跡地が日本橋人形町に
西郷隆盛の屋敷跡地は、現在の「中央区立日本橋小学校」の敷地にあります。
人形町駅から徒歩数分。オフィスビルやマンションが立ち並ぶ一角に、モダンな小学校が現れます。一見すると普通の小学校ですが、校門の脇にひっそりと、しかし誇らしげに掲げられた「西郷隆盛屋敷跡」の看板が、ここが歴史の舞台であったことを静かに物語っています。
▼現在の日本橋小学校

▼校門脇にある屋敷跡の看板

明治4年からの約2年間、日本の未来を構想した場所
西郷隆盛がこの日本橋人形町に住んでいたのは、明治4年(1871年)から明治6年(1873年)までの約2年間です。
もともとは姫路藩酒井家の下屋敷があった場所で、その広さはなんと2,633坪(約8,700平方メートル)。畳に換算すると約4,772枚分という、現代の東京では想像もつかないほどの広大な敷地でした。
この屋敷で西郷隆盛は、書生15人、下男7人、そして愛犬数頭と共に暮らしていました。明治維新直後のこの時期、彼は留守政府の実質的なトップとして、「学制」「徴兵令」「地租改正」といった重要政策を次々と推し進めていました。日本の近代化の青写真は、まさにこの日本橋の屋敷で描かれていたのです。
人形町の歴史をまとめました|人形焼は人形町が由来です!の記事でも紹介している通り、人形町は古くから文化と商業が交差する活気ある街でした。西郷隆盛も、公務の合間にこの街の空気を吸い、日本の未来に思いを馳せていたのかもしれません。
千疋屋との意外な関係「おっかあ、でっかな西瓜持ってこお」
西郷隆盛は、日本橋にある老舗果物店「千疋屋総本店」の常連客であり、特にスイカが大好物でした。
当時、千疋屋は人形町に近い場所にあり、西郷隆盛の屋敷のご近所さんでした。彼は千疋屋の2代目内儀(おかみ)である「むら」と親しく、店を訪れてはこんな風に声をかけていたそうです。
「おっかあ、でっかな西瓜(スイカ)持ってこお」
あの強面の西郷さんが、まるで少年のようにスイカをねだる姿を想像すると、なんだか微笑ましいですよね。暑い夏の日に、縁側で大きなスイカにかぶりつく西郷さんの姿が目に浮かぶようです。
さらに驚くべきエピソードがあります。明治6年、征韓論に敗れて鹿児島へ帰る際、西郷隆盛は千疋屋の店主に「この屋敷をあげようか」と持ちかけたのです。2,600坪もの広大な屋敷を「あげようか」と言える豪快さ。店主は驚いて辞退したそうですが、彼の無欲で人情味あふれる人柄がよく表れています。
【口コミ】訪問者のリアルな声と注意点
実際に「西郷隆盛屋敷跡」を訪れた方々のリアルな感想と、訪問時の注意点をまとめました。
SNSや口コミサイトを見ると、「意外だった!」という驚きの声が多い一方で、事前に知っておくべきポイントもいくつか見えてきました。
建物そのものは残っていませんが、その場所に立つことで、かつてここに存在した「空気」を感じることはできます。歴史好きの方にとっては、想像力を掻き立てられる絶好のスポットと言えるでしょう。
西郷隆盛屋敷跡を訪れたら立ち寄りたいスポット【2025年最新】
西郷隆盛屋敷跡(日本橋小学校)の周辺は、新旧の魅力が入り混じる日本橋人形町エリアの中心地です。
歴史探訪の後は、話題のパワースポットや、2025年に注目を集めている最新グルメで心もお腹も満たしましょう。
徒歩5分の最強パワースポット「小網神社」
屋敷跡から徒歩約5分の場所にあるのが、「強運厄除の神様」として知られる小網神社(こあみじんじゃ)です。
東京大空襲の際、西郷隆盛の屋敷跡(当時は小学校)と小網神社だけが奇跡的に焼け残ったという逸話があり、その「強運」にあやかろうと連日多くの参拝客で賑わっています。西郷さんが守ってくれたのかもしれない……なんて想像すると、より一層パワーを感じられそうですね。
参拝の作法や見どころについては、小網神社のご利益やおすすめのお守り【日本橋小網町のパワースポット】の記事で詳しく解説していますので、ぜひ予習してから訪れてみてください。
2024-2025年オープンの注目グルメ(Pizza Tane・金子半之助・玉ひで)
歴史ある人形町ですが、2024年から2025年にかけて、注目の新店舗が続々とオープンしています。
西郷さんの時代にはなかった新しい味を、散策のランチやディナーにいかがでしょうか。
編集部おすすめ!最新グルメ3選
- Pizza Tane(ピッツァ・タネ):
2025年9月、話題のデザインホテル「SOIL Nihonbashi Hotel」の1階にオープン。薪窯で焼く本格ナポリピッツァが楽しめます。 - 日本橋 天ぷらめし 金子半之助 日本橋人形町店:
2024年10月オープン。行列必至の人気店が人形町に登場。カウンターで揚げたての天ぷらを定食スタイルでいただけます。 - 玉ひで 本店:
親子丼発祥の老舗が、ビルの建て替えを経て2024年10月にリニューアルオープン。伝統の味はそのままに、より洗練された空間で食事が楽しめます。
また、安産・子授けで有名な日本橋水天宮もすぐ近くです。お参りの帰りにこれらのグルメスポットに立ち寄るのも、人形町ならではの粋な過ごし方ですね。
【季節で楽しむ】人形町の定期イベント情報
人形町では、季節ごとに風情あるイベントが開催されています。
訪問時期をイベントに合わせれば、西郷隆盛屋敷跡だけでなく、街全体の活気を肌で感じることができますよ。
| 夏(7-8月) | ECO EDO 日本橋 浴衣で街歩きを楽しむイベント。風鈴スポットやかき氷の食べ歩きが人気です。 |
| 夏(8月) | 人形町せともの市 毎年8月の第1週に開催される陶器市。掘り出し物の器を探す人々で賑わいます。 |
| 秋(11月) | 人形町まつり パレードや出店が並び、下町情緒が爆発する秋の風物詩です。 |
全国を回る西郷隆盛ツアーを考えている人にはおすすめです
西郷隆盛の足跡を辿る「聖地巡礼」をするなら、ここ日本橋人形町は外せない重要スポットの一つです。
特に東京には、彼が活躍した幕末〜明治初期の舞台が点在しています。効率よく回るためのモデルコースをご提案します。
【東京編】上野・人形町・三田を巡る1日モデルコース
東京にある西郷隆盛ゆかりの地を、1日で満喫するならこのルートがおすすめです。
- 【午前】日本橋人形町エリア
まずは「西郷隆盛屋敷跡」へ。その後、小網神社を参拝し、甘酒横丁で食べ歩きランチ。 - 【午後】上野恩賜公園
人形町駅から日比谷線で上野駅へ(約15分)。有名な「西郷隆盛像」と対面しましょう。愛犬ツンを連れた姿は必見です。 - 【夕方】港区三田エリア
勝海舟と西郷隆盛が江戸無血開城の会談を行った「薩摩藩蔵屋敷跡」へ。歴史が動いた瞬間を感じてください。
▼上野公園の西郷隆盛像

もしお正月に訪れるなら、【2026年向け】日本橋七福神巡りと組み合わせてみるのも素敵です。人形町エリアだけで複数の神様にお参りできるので、運気アップ間違いなしですよ。
【鹿児島編】城山・南洲墓地など故郷の重要スポット
もちろん、西郷隆盛の故郷である鹿児島県にも重要なスポットが目白押しです。最期を迎えた「城山」や、眠っている「南洲墓地」、そして「西郷隆盛誕生地」など。東京の屋敷跡を見た後に訪れると、彼が故郷に抱いていた想いがより深く理解できるはずです。
よくある質問(FAQ)
Q. 西郷隆盛はなぜ日本橋人形町に住んでいたのですか?
A. 西郷隆盛が日本橋人形町に住んでいた理由は、明治新政府の参議として上京し、日本の近代化政策(廃藩置県や学制など)を指揮するためです。明治4年から6年までの約2年間、当時の政府中枢に近いこの場所を拠点としていました。
Q. 西郷隆盛の屋敷跡は今でも見ることができますか?
A. 西郷隆盛の屋敷跡の建物自体は残っていませんが、現在は日本橋小学校となっており、校門前に「西郷隆盛屋敷跡」の説明看板が設置されています。看板は24時間いつでも無料で見学可能です。
Q. 日本橋人形町から上野公園の西郷隆盛像まではどのくらいかかりますか?
A. 日本橋人形町から上野公園までの所要時間は、東京メトロ日比谷線を使って約20分です。「人形町駅」から「上野駅」まで電車で約15分、そこから徒歩数分で西郷像に到着します。
【まとめ】西郷隆盛屋敷跡地で歴史の息吹を感じよう
日本橋人形町にある西郷隆盛の屋敷跡地は、建物こそ残っていませんが、日本の未来を切り拓こうとした英雄の情熱が確かに刻まれた場所です。
- 意外な歴史:西郷隆盛は明治初期の2年間、日本橋人形町に住んでいた。
- 人間味あふれる逸話:千疋屋のスイカが大好きで、屋敷を譲ろうとしたことも。
- 周辺の楽しみ:小網神社や最新グルメと合わせて、充実した散策ができる。
今度の休日は、西郷さんも愛した日本橋の風を感じながら、知的な歴史散歩を楽しんでみてはいかがでしょうか?
屋敷跡地を訪れたあとは、ぜひ近くの小網神社へ。以下の記事で予習してから行くと、ご利益がさらにアップするかもしれませんよ!
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それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!
