三代目細田安兵衛とは

三代目細田安兵衛とは、1857年(安政4年)に日本橋西河岸町へ独立店舗を構え、和菓子店「榮太樓」を開いた人物です。幼名を栄太郎といい、日本橋の袂で金鍔を焼く屋台を切り盛りしたのち、店を構えました。

菓子作りを絵で海外へ伝えた

1885年(明治18年)、安兵衛はロンドンの万国発明品博覧会へ菓子や木型、道具を出品しました。製造工程も伝えるため、日本橋の和紙舗・榛原の仲介で画家の柴田しばた真哉しんさいへ解説画を依頼しています。

この絵が「絹本着色日本製菓子舗榮太樓本店製造塲略図」です。商品だけでなく、製餡や蜜煮、求肥、飴の整形といった仕事の手順まで海外へ見せようとした点に見えるのは、明治の日本橋商人らしい工夫。

日本橋トピック♪「榮太樓」は幼い頃の名前から生まれた?

三代目安兵衛の幼名は「栄太郎」でした。1857年に独立店舗を構えた際、自らの幼名にちなんで屋号を「榮太樓」と改めています。人の名が店の名になり、日本橋で受け継がれる看板へ。

三代目細田安兵衛に関するよくある質問

榮太樓の1818年と1857年は何が違いますか?
1818年は細田徳兵衛が九段坂で井筒屋を構えた家業の起点です。1857年は三代目細田安兵衛が日本橋西河岸町に独立店舗を構え、榮太樓の屋号を掲げた年です。
三代目細田安兵衛は榮太樓の工場図を描いた人ですか?
安兵衛は工場図の制作を依頼した人物です。実際に描いたのは画家の柴田真哉で、1885年のロンドン・万国発明品博覧会への出品物として制作されました。

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