人形町の地名と人形焼き発祥の関係や今も愛される老舗人形焼き店をご紹介します!

重盛の人形焼

こんにちは!とーんと♡日本橋編集部です!
人形町といえば「人形焼き」。
小さなカステラ生地の中にたっぷりあんこが詰まった和菓子で、食べるとどこか懐かしくてホッとする味わいなんです。

この記事では、人形町の地名と人形焼き発祥の関係以外に、今も愛される老舗人形焼き店「重盛永信堂」と「板倉屋」についても触れておりますので、ぜひご覧ください!

目次

人形町の地名と人形焼き発祥の関係

「人形町」という地名は、江戸時代の歌舞伎や人形芝居に深く関係しています。
寛永元年(1624年)、猿若勘三郎が中村座を開き江戸歌舞伎が誕生。その近くには人形浄瑠璃や説経芝居の小屋が立ち並び、庶民の娯楽の中心地となっていきました。当時は人形を作る職人(人形師)が集まり、街には人形文化が花開いたことから「人形町」と呼ばれるようになったと言われています。

そんな人形町で誕生したのが「人形焼き」。
最初は「面形焼(おもかたやき)」と呼ばれ、能や歌舞伎で使われる面の形をかたどったお菓子でした。
後に「人形焼き」と呼ばれるようになり、庶民に愛されるおやつとして広まります。
明治から大正にかけては、人形町の菓子職人が浅草へ移り住んだことで技術が伝わり、浅草名物の人形焼へと広がっていったのだそうです。

人形町で今も愛される人形焼き
街の歴史と共に育まれてきた人形焼き。今も人形町の顔です。

人形焼きの形といえば七福神が定番ですが、「6種類しかないのはなぜ?」と不思議に思った方もいるかもしれません。これは型の都合で7体すべてを入れられなかったり、福禄寿や毘沙門天のデザインが難しかったことが理由。さらに「お客様自身が7人目の神様」という粋な解釈も伝えられていて、食べながらちょっとほっこりするストーリーになっています。

人形町で今も愛される老舗人形焼き店

人形町で人形焼きといえば、今も多くのファンに支持される二大老舗と呼ばれているお店があります。それが「重盛永信堂」と「人形焼本舗板倉屋」。かつては「人形町亀井堂」も並び、三大名店と呼ばれていましたが、人形町亀井堂は惜しくも2018年に閉店してしまいました。

重盛永信堂|人形町の顔ともいえる人気店

大正6年(1917年)創業の重盛永信堂は、人形町を代表する人形焼き店です。七福神をかたどった可愛らしい焼き型が特徴で、店頭には常に行列ができています。定番のこしあん入り人形焼き(5個700円)をはじめ、つぶあんの「つぼ焼」、白あんの「登り鮎」など種類も豊富。すべて北海道産の小豆を使い、手焼きにこだわった味わいはどこか素朴で、何度食べても飽きません。

重盛の人形焼きがオンラインで買えます!
出典:オンラインショップより

営業時間は平日9:00〜19:00、土曜は18:00まで。日曜・祝日は基本的にお休みですが、戌の日や大安と重なった場合は特別営業することもあります。訪れる際は公式HPを確認してから向かうのがおすすめです。

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