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用語 街・地名

薬研堀埋立地とは

薬研堀埋立地とは、江戸の薬研堀を埋めた跡に生まれ、現在の東日本橋一〜二丁目付近につながる旧町名です。読みは「やげんぼりうめたてち」。明和8年(1771年)頃、堀の大部分が埋め立てられて町屋となりました。

資料上の別表記:米沢町薬研堀埋立地(『日本歴史地名大系』)

水路の跡から東日本橋へ

薬研堀は、米や材木などを運ぶ船が出入りした水路でした。その堀筋跡にできた町は、中央区立図書館の変遷表では薬研堀町両国を経て東日本橋へ。名前が伝えるのは「堀があった場所」という土地の履歴です。

日本橋トピック♪順天堂の源流は埋立地に面していた

学校法人順天堂によると、和田泰然は天保9年(1838年)、薬研堀に蘭医学塾「和田塾」を開きました。江戸切絵図では、塾は薬研堀埋立地に面する場所に描かれています。泰然は天保14年(1843年)に佐倉へ移って蘭医学塾「順天堂」を開いており、旧町名は医学史の舞台を探すときの目印にもなります。

薬研堀埋立地に関するよくある質問

「薬研堀」という名はどこから来たのですか?
断面が薬を砕く器具の薬研に似ていたとする説と、医師が多く住んだことにちなむとする説があります。由来は一つに確定できないため、複数の説が伝わる地名として捉えるのが安全です。
薬研堀埋立地と和田塾にはどのような関係がありますか?
学校法人順天堂が紹介する江戸切絵図では、和田泰然の蘭医学塾「和田塾」が薬研堀埋立地に面していました。和田塾が開かれたのは1838年です。