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辻源七とは

辻源七とは、江戸の本石町時の鐘を管理した時鐘役が、代々受け継いだ名跡です。読みは「つじげんしち」。特定の一人だけを指す人名ではなく、時刻を街に知らせる役目とともに継承された名前です。

1725年の記録を残した時鐘役

享保10年(1725年)、辻源七は本石町の鐘がそれまで3回改鋳されたとする記録を書き上げました。現在の十思公園に残る鐘は、その記録と、鐘に刻まれた「寶永辛卯」の銘から、1711年の改鋳とみられています。

日本橋トピック♪鐘の音は410町の共同経費

中央区の解説によると、本石町時の鐘は、音が聞こえる410町から鐘撞銭を集めていました。負担は家持町人1軒につき1カ月銭4文。江戸の「時間を知らせるインフラ」は、鐘の音が届く街の負担で運営されていたのです。

辻源七に関するよくある質問

時鐘役はどのくらいの間隔で鐘を撞きましたか?
本石町の時の鐘では、一時ごと、現在の感覚で約2時間おきに、一昼夜を通じて鐘を撞いていました。
本石町の時の鐘はいつ廃止されましたか?
明治初年に、時刻制度の変更や正午を知らせる午砲の設置などの影響を受けて廃止されました。鐘は現在、十思公園に保存されています。

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