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大富町とは

大富町とは、三十間堀に架かっていた真福寺橋の東側にあった歴史地名です。読みは「おおとみちょう」。旧町域は現在の中央区銀座一丁目・新富一丁目に含まれます。

二つの堀に面した町

大富町は、北を八丁堀、西を三十間堀に接し、南と東には武家屋敷がありました。安永年間(1772〜1781年)の図では、真福寺橋東側の広小路を挟み、三十間堀沿いと八丁堀沿いの二か所に大富町の名が見えます。

明治元年(1868年)には東側の武家地が新島原遊廓の敷地となり、明治4年(1871年)に遊廓が移転した後、周辺は新富町一丁目として再編されました。大富町は、失われた堀と現在の新富という町名を結ぶ手がかりです。

日本橋トピック♪一つの町名が二か所に見える

江戸の町域は、現在の整った街区と同じ形とは限りません。大富町は広小路を挟んだ二か所に見え、道や水路を基準に町を捉える視点を教えてくれます。古地図では町名だけでなく、その周囲の堀や橋も一緒に見ると位置関係をつかみやすくなるでしょう。

大富町に関するよくある質問

大富町と新富町一丁目は同じ範囲ですか?
完全に同じ範囲とはいえません。新富町一丁目は、大富町周辺にあった武家地や新島原八重咲町を含む土地の再編を経て成立しました。
大富町の町名は何に由来しますか?
中央区立図書館の町名変遷表と平凡社の地名事典には、「大富」という名の由来は示されていません。字面だけから縁起のよい名などと推測することはできません。

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