森山松之助とは
森山松之助とは、明治2年(1869年)生まれの日本人建築家で、日本統治期の台湾で公共建築を手がけた後、東京で設計活動を行った人物です。日本橋との接点は、昭和4年(1929年)竣工の玉置文治郎ビルにあります。
台湾の公共建築から東京の設計活動へ
森山松之助は東京帝国大学の造家学科、いまの建築学科を卒業し、明治40年(1907年)に台湾へ渡りました。台湾総督府の技師として公共建築に関わり、退職後は東京に建築事務所を開設。台湾と東京の双方に作品を残した建築家です。
玉置文治郎ビルに表れた機能と装飾
東日本橋の玉置文治郎ビルでは、薬品が日光の影響を受けにくいよう、正面入口を北向きに配置しました。外壁には茶褐色のスクラッチタイルを使い、花模様やメダリオン、3連アーチなどを組み合わせています。
中央区銀座の丸嘉ビルも森山の設計です。商業建築を多く手がけた森山の作品は、建物の用途に応える計画と、街路に表情をつくる外観の両面から楽しめるでしょう。森山は昭和24年(1949年)に亡くなりました。
日本橋トピック♪建物の向きにも表れた設計の考え方
玉置文治郎ビルの北向き玄関は、単なる街角のデザインではありません。薬品に強い日光が当たりにくくなるよう考えた配置です。扱う商品を守る機能を、建物全体の設計に組み込んだことが分かります。
森山松之助に関するよくある質問
- 森山松之助は玉置文治郎ビル以外も設計しましたか?
- はい。中央区の近代建築物調査では、銀座の丸嘉ビルも森山松之助の設計とされています。台湾でも公共建築を手がけました。
- 森山松之助は誰に建築を学びましたか?
- 中央区は辰野金吾に師事したと説明し、台湾の監察院は東京帝国大学でジョサイア・コンドルに学んだと説明しています。双方は、学んだ場面や関係を説明する文脈が異なります。

