不動明王尊像とは
不動明王尊像とは、薬研堀不動院の御本尊としてまつられる不動明王の尊像です。薬研堀不動院公式では、興教大師・覚鑁上人が保延3年(1137年)に敬刻したという由緒が示されます。
公式案内での表記:御本尊・不動明王尊像
根来寺から隅田川へ伝わった御本尊
公式略縁起によると、不動明王尊像は紀州・根来寺に安置された後、天正13年(1585年)の兵火の際に守り出され、東国へ伝わったとされています。天正19年(1591年)に隅田川のほとりへ堂宇が建てられたことが、薬研堀不動院のはじまり。ひとつの像が移動し、その先で寺院の起点になったという流れでしょう。
街歩きで見るときは、単なる仏像名ではなく、薬研堀不動院の歴史そのものを背負う中心の存在と考えると分かりやすいでしょう。明治25年(1892年)からは川崎大師東京別院として歩み、東日本橋の信仰の場へ。川崎大師公式でも、薬研堀不動院には興教大師・覚鑁上人敬刻の不動明王がまつられていると案内されています。
日本橋トピック♪「一刀三礼敬刻」という言葉が残る
薬研堀不動院公式の略縁起には、不動明王尊像について「一刀三礼敬刻」という表現が出てきます。細かな作法まで知らなくても、一刀ごとに祈りを重ねるような言葉だと受け止めると、御本尊がただの古い像ではなく、信仰の所作と結びついて伝えられてきたことが見えてくるはずです。
不動明王尊像に関するよくある質問
- 覚鑁上人はこの由緒でどんな人物として出てきますか?
- 薬研堀不動院公式では、真言宗中興の祖と仰がれる人物として説明されています。不動明王尊像を敬刻した僧として、同院の御本尊の由緒に登場します。
- 厄除けと関係のある由緒ですか?
- 公式略縁起では、覚鑁上人が43歳の厄年を無事にすませた御礼として敬刻したものと説明されています。薬研堀不動院の厄除けの印象と、御本尊の由緒が重なって見える部分です。
