長崎屋跡とは

長崎屋跡とは、江戸時代にオランダ商館長の江戸での定宿となった薬種屋「長崎屋」の跡で、現在の東京都中央区日本橋室町にあります。鎖国の時代、ここはオランダ人と日本の学者とが出会える数少ない場。今は新日本橋駅のそばに、由来を伝える説明板が掲げられています。

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オランダ商館長の定宿「長崎屋」

長崎屋源右衛門が営む薬種屋(くすりの問屋)は、オランダ商館長(カピタン)一行の定宿でした。商館長は貿易のお礼として将軍に拝謁するため、年に1回(のちに4年に1度)長崎から江戸へのぼり、その旅は江戸参府と呼ばれます。江戸での定宿が、本石町三丁目(今の日本橋室町四丁目あたり)にあった長崎屋でした。

鎖国の世にひらいた「西洋への窓」

長崎屋は「江戸の出島」とも呼ばれました。西洋に通じる窓がほとんど閉ざされていた時代、ここを訪れれば異国の知識に触れられる。だからこそ杉田玄白や平賀源内といった蘭学者たちが、われ先にと長崎屋へ通ったと伝わります。建物はもう残っていませんが、新日本橋駅のそばの説明板が、その熱気のあった場所を教えてくれます。

Topic商館長に従ってきた医師たち

江戸参府には、商館長だけでなくお付きの医師も同行しました。その中には、日本の動植物や暮らしを克明に書き残したケンペルやツンベルク、シーボルトの名も。彼らがヨーロッパへ伝えた記録は、当時の日本を世界に知らせる貴重な資料になりました。長崎屋は、知識が両方向へ行き交う交差点だったのでしょう。

長崎屋跡に関するよくある質問

「長崎屋」は長崎にあった店ですか?
いいえ、長崎の店ではありません。江戸の本石町、いまの室町あたりにあった薬種の問屋でした。長崎から参府するオランダ人を迎えたことが、この屋号の由来とされます。
長崎屋跡には今、何かありますか?
当時の建物は残っていません。新日本橋駅の近くに区の文化財としての説明板が掲げられ、ここがオランダとの交流の舞台だったことを今に伝えています。

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