甘酒横丁の名前の由来と歴史|人形町の老舗が並ぶ400m商店街を徹底ガイド

甘酒横丁の由来と歴史をまとめたガイド記事のアイキャッチ画像。甘酒の湯呑みや人形焼、たい焼きなどのアイコンを配置し、人形町の老舗商店街を散策したくなるエディトリアルデザイン

こんにちは!とーんと♡日本橋編集部です。

人形町駅を降りてすぐの交差点に掲げられた「甘酒横丁」の文字。
「なぜこの通りは”甘酒”なんだろう?」と思ったこと、ありませんか?

甘酒横丁の名前の由来は、明治初期にこの横丁の入口で甘酒を売っていた「尾張屋」というお店にあります。
芝居帰りの人たちが尾張屋の甘酒を楽しんでいた。
そんな光景が、この通りの始まりとして語り継がれています。

しかも、尾張屋の閉店後にある老舗豆腐店が「甘酒横丁」の名をつなぐきっかけになったというエピソードまであるんですよ!
知れば知るほど愛着が湧く歴史が、この約400mの商店街には詰まっています。

この記事では、甘酒横丁の名前の由来と歴史をわかりやすく解説したうえで、通り沿いの老舗・名店のお店一覧食べ歩きのモデルコースアクセス情報まで、散策前に知っておきたい情報をぎゅっとまとめました♪

この記事でわかること

  • 甘酒横丁の名前の由来と、甘酒屋「尾張屋」の正体
  • 江戸時代から現在までの歴史年表
  • 通り沿いの老舗・名店のお店一覧(テイクアウト・お土産・飲食店)
  • 食べ歩きのモデルコースと注意点
  • 最寄り駅・出口・駐車場のアクセス情報
目次

甘酒横丁の名前の由来は明治初期の甘酒屋「尾張屋」

甘酒横丁の名前の由来は、明治初期にこの横丁の入口付近で営業していた甘酒屋「尾張屋」にあります。
当時、この小路は「甘酒屋横丁」と呼ばれていました。

甘酒屋横丁が略されて「甘酒横丁」として定着し、現在まで受け継がれています。
ここではまず、甘酒横丁の名前がどう生まれたのか、そして尾張屋とはどんなお店だったのかを詳しく見ていきましょう!

「甘酒屋横丁」が略されて「甘酒横丁」に定着した経緯

甘酒横丁の名前がいつ・どのように生まれたのか。
甘酒横丁商店会の公式サイトに、その起源がはっきりと記されています。

「甘酒横丁の街の由来は、明治の昔、今の甘酒横丁入口付近に『尾張屋』という甘酒屋さんがあって、その小路を『甘酒屋横丁』と呼んでいたのがこの呼び名の起源のようです。」

出典:甘酒横丁商店会 公式サイト

つまり、甘酒横丁の名前のもとは「甘酒屋横丁」
尾張屋の甘酒がこの界隈で広く親しまれていたからこそ、通りの名前にまでなったというわけですね。

なお、甘酒横丁が中央区の公式な道路愛称として正式に指定されたのは昭和63年度(1988年)のこと。
それ以前は、地元の人々の間で自然に使われていた”通称”だったのが、区のお墨付きをもらった形です。

甘酒横丁の基本情報

  • 起点:人形町通りとの交差点「甘酒横丁交差点」(日比谷線 人形町駅A1出口の目の前)
  • 終点:明治座のある清洲橋通り(浜町緑道付近)
  • 通りの長さ約400m(甘酒横丁商店会公式・Wikipedia等の記載に基づく。一方通行・西向き)
  • 正式指定:昭和63年度(1988年)に中央区道路愛称として制定
甘酒横丁の名前の由来を示すフロー図。明治初期の甘酒屋「尾張屋」から「甘酒屋横丁」の通称が生まれ、略されて「甘酒横丁」に定着、1988年に中央区が正式指定した流れ
甘酒横丁の名前は「尾張屋」→「甘酒屋横丁」→「甘酒横丁」と変化して現在に至ります。

尾張屋があった場所は現在の「玉英堂 彦九郎」の位置

甘酒横丁の名前の元になった尾張屋は、現在の甘酒横丁交差点の南側にありました。
住所でいうと、中央区日本橋人形町2丁目付近にあたります。

そして現在、その尾張屋の跡地に店を構えているのが、京菓子の老舗「玉英堂 彦九郎」(中央区日本橋人形町2-3-2)です。
玉英堂は天正4年(1576年)に京都で創業し、昭和29年に人形町へ移転した歴史あるお菓子屋さんです。

注目したいのは、玉英堂がこの場所に移ってきた経緯。
複数の情報源では、尾張屋から「甘酒を販売することを条件に」土地を引き継いだと伝えられています

実際に、玉英堂 彦九郎では週末限定で米糀100%の甘酒を提供しています(執筆時点で1杯150円)。
尾張屋の甘酒の伝統が、お店は変わりながらもこの場所で受け継がれているんですね!

尾張屋の閉店時期について
テレビ東京「出没!アド街ック天国」(2013年放送)によると、尾張屋は昭和28年(1953年)頃に閉店したとされています。
ただし、尾張屋の創業年や閉業の詳しい理由については、現時点で確認できる公式の一次資料が見つかっていません。

尾張屋が繁盛した理由。水天宮・明治座・寄席の三位一体

尾張屋の甘酒が横丁の代名詞のように親しまれた背景には、当時の人形町界隈の大きな賑わいがありました。

明治5年(1872年)に鎧橋が完成して新道が開通すると、赤坂にあった有馬家の邸内社「水天宮」が蛎殻町(現在の水天宮前駅付近)へ移転。
安産祈願で知られる水天宮には、毎月の縁日や戌の日に大勢の参拝客が訪れるようになりました。

さらに、明治6年(1873年)には現在も続く「明治座」が開場。
加えて「末廣亭」「喜扇亭」「鈴本亭」という3軒の寄席もこの界隈に集中しており、芝居帰り・観劇帰りの人々が横丁にあふれていたのです。

甘酒横丁商店会の公式サイトは、当時の様子をこう伝えています。

「きっと芝居見物に集まった人たちが、尾張屋さんの縁台で芝居談義をしながらおいしい甘酒をすすっていたのでしょう」

出典:甘酒横丁商店会 公式サイト

つまり、尾張屋が繁盛した背景には「場所の力」も大きかったと考えられます。
水天宮・明治座・寄席という3つの人の流れが交わるど真ん中に尾張屋があったからこそ、甘酒は人形町を代表する名物になっていったのでしょう。

🏮 尾張屋が繁盛した3つの背景

  • 水天宮(明治5年に蛎殻町へ移転):安産祈願の参拝客が毎月の縁日・戌の日に大挙
  • 明治座(明治6年開場):歌舞伎・芝居の観劇客が集中
  • 寄席3軒(末廣亭・喜扇亭・鈴本亭):庶民の娯楽拠点として日常的に賑わい

※ほかにも穀物取引所や日本橋魚河岸があり、東京屈指の繁華街だったと伝えられています

甘酒横丁の尾張屋が繁盛した理由を示す図解。中心に尾張屋を置き、水天宮の参拝客・明治座の観劇客・寄席3軒の庶民客という3つの人の流れが交差していた構造を表現
尾張屋が繁盛した背景には、水天宮・明治座・寄席という3つの人の流れが交差する「場所の力」がありました。

ちなみに、江戸時代の甘酒は1杯あたり6〜8文ほどで、現代の貨幣価値に換算すると数百円程度に相当するとも言われています。
参拝や観劇のあいまにふらっと立ち寄れる庶民の憩いの飲み物として親しまれていたようです。

甘酒横丁の歴史年表。江戸時代から現在までの変遷

甘酒横丁の歴史は、人形町という街そのものの約400年の歴史と重なります。
江戸歌舞伎の発祥地として栄え、花街・水天宮・明治座を経て、震災を乗り越えながら現在の姿になりました。

まずは主な出来事を年表で一覧にまとめます。
その後、特に重要な4つの時代を詳しく掘り下げていきますね♪

年代甘酒横丁・人形町の主な出来事
1590年(天正18年)徳川家康の江戸下向に伴い、人形町一帯が埋め立てにより造成
1612年(慶長17年)幕府公認の遊郭「吉原」が人形町付近に設置(1657年に浅草へ移転)
1624年頃(寛永元年)猿若座(後の中村座)が人形町に開場。江戸歌舞伎の始まり
1841年〜(天保12年)天保の改革で芝居小屋が浅草へ移転命令。人形町が一時衰退
1872年(明治5年)鎧橋完成・新道開通。水天宮が赤坂から蛎殻町へ移転
1873年(明治6年)明治座(当初は「喜昇座」)が開場
明治初期甘酒屋「尾張屋」が営業開始。「甘酒屋横丁」の呼び名が誕生
1923年(大正12年)関東大震災。復興計画で通りの道幅が現在の広さに拡張
1953年頃(昭和28年)尾張屋が閉店。甘酒横丁から甘酒が消え、名前の形骸化が進む
1980年代「とうふの双葉」先代が甘酒販売を再開。横丁の呼び名が改めて広く意識されるように
1988年度(昭和63年)中央区が「甘酒横丁」を道路愛称として正式指定
現在老舗や名店が数多く並ぶ商店街として国内外の観光客に親しまれている

江戸時代。歌舞伎と吉原が集まった繁華街「人形町」

甘酒横丁がある人形町の歴史は、徳川家康が江戸に入った1590年以降の埋め立て事業にまで遡ります。

寛永元年(1624年)頃、猿若勘三郎が「猿若座」(後の中村座)を人形町に開場
これが江戸歌舞伎の始まりとされています。

猿若座の周辺には人形浄瑠璃の小屋人形師たちの工房も集まり、
「人形町」という地名そのものが、このとき人形に関わる職人たちが多く暮らしていたことに由来しているんです。
人形町の歴史と人形焼の由来をまとめた記事でも詳しく紹介していますので、あわせてどうぞ!

さらに慶長17年(1612年)には、幕府公認の遊郭「吉原」がこの界隈に設置されました。
「朝昼晩三千両のおち処」と謳われるほどの繁華街だったそうです。
吉原は明暦の大火(1657年)後に浅草へ移転しますが、人形町には芝居小屋や商店が残り、活気は続いていました。

天保の改革(1841年〜)によって芝居小屋が浅草猿若町へ移転を命じられ、人形町は一時的に衰退期を迎えます。
人形町が再び息を吹き返すのは、明治に入ってからのことでした。

明治時代。花街「芳町」と水天宮移転で黄金期へ

明治に入ると、人形町は新たな賑わいの中心地として復活を遂げます。

最大の転機は、明治5年(1872年)の水天宮の移転です。
赤坂にあった有馬家の邸内社が蛎殻町(現在の水天宮前駅付近)に移され、安産祈願の参拝客が連日押し寄せるようになりました。
「なさけありまの水天宮」という洒落が流行語になったほどの人気ぶりだったとか!

翌年の明治6年(1873年)には明治座(当初は「喜昇座」)が開場。
同時期に、人形町2丁目周辺には芸妓の置屋やお茶屋が集まる花街「芳町(よしちょう)」も成立しています。

芳町芸者は「粋でおきゃんで芸がたつ」と評され、柳橋・新橋と並ぶ東京の一流花街として名を馳せました。
この花街の存在が、周辺の飲食店や菓子店の発展をさらに後押ししていたと考えられています。

甘酒屋「尾張屋」が最も繁盛した時代
水天宮の参拝客、明治座の観劇客、芳町花街の宴席の客。
この3つの人の流れが重なった明治時代こそが、尾張屋の甘酒が最も繁盛し「甘酒屋横丁」の名前が定着した黄金期だったとされています。

関東大震災後の区画整理で道幅が現在の広さに

大正12年(1923年)の関東大震災は、甘酒横丁にも大きな転機をもたらしました。

震災後に実施された帝都復興計画の区画整理によって、甘酒横丁の道幅は現在の広さに拡張されています。
震災前の「甘酒屋横丁」は今よりやや南寄りの細い小路だったとされていますが、通りの位置が変わっても「甘酒横丁」の呼び名はしっかり引き継がれました。

道路が広くなったことで、それまでの路地裏的な風情から、両側に商店がずらりと並ぶ現在の商店街スタイルへ。
甘酒横丁の原型がこの時期に形づくられたと考えられています。

名前が消えかけた危機と「とうふの双葉」による復活劇

実は、甘酒横丁の名前には「一度消えかけた」という歴史があります。

テレビ東京「出没!アド街ック天国」(2013年放送)によると、尾張屋は昭和28年(1953年)頃に閉店
甘酒横丁から「甘酒を売るお店」がなくなってしまい、横丁の名前は形骸化の危機を迎えました。

「横丁の名もいったんは消えかかった」と複数の情報源が伝えています。
甘酒のない「甘酒横丁」では、名前の意味がわからなくなってしまいますよね。

この危機を救うきっかけとなったのが、明治40年(1907年)創業の老舗豆腐店「とうふの双葉」でした。

「甘酒横丁の名前を残すために」
とうふの双葉の先代主人が甘酒の販売を始めたというエピソードは、テレビ番組や地域メディアなど複数の独立した情報源で証言されています。
「尾張屋から引き継ぎ、甘酒を販売。一度途絶えた甘酒横丁の名物は、こうして今も味わう事ができる」(アド街ック天国より)

とうふの双葉は甘酒横丁沿い(人形町2-4-9)にあり、執筆時点では1杯200円の米麹甘酒を店頭で販売しています。
ノンアルコールタイプなので、家族でも気軽に立ち寄りやすいお店です♪

さらに前述のとおり、尾張屋の跡地にある玉英堂 彦九郎でも週末限定の米糀甘酒が案内されています(執筆時点で1杯150円)。
また、大正4年(1915年)創業の新川屋佐々木酒店では、大人向けの酒粕甘酒を楽しめます(執筆時点で1杯100円)。

🍶 執筆時点で甘酒が飲めるお店として紹介されている3店

店名 甘酒の種類 価格目安 備考
とうふの双葉 米麹(ノンアルコール) 200円 年中無休・温冷あり
玉英堂 彦九郎 米糀100% 150円 週末・祝日限定
新川屋佐々木酒店 酒粕(アルコール含) 100円 大正4年創業の酒店

※価格・提供日・営業状況は変更される場合があります。訪問前に各店の公式情報をご確認ください

甘酒横丁で甘酒が飲める3店舗の比較カード。とうふの双葉は米麹ノンアルコール200円、玉英堂彦九郎は米糀100%で週末限定150円、新川屋佐々木酒店は酒粕タイプ100円
甘酒横丁で甘酒を楽しめる3つのお店を比較しました(価格は執筆時点の情報です)。

尾張屋から、とうふの双葉、そして玉英堂 彦九郎へ。
「甘酒横丁」という名前は、一軒の甘酒屋から始まり、街の人たちの手でリレーのようにつながれてきたのです。

SNSでも「甘酒横丁で甘酒を買い、水天宮まで歩いた」「熱々の甘酒をその場で堪能した」といった投稿が見られ、今もこの通りで甘酒を楽しむ方は多いようです。

甘酒横丁には何がある?老舗・名店のお店一覧

甘酒横丁には、創業100年を超える老舗から地元密着の名店まで、さまざまなお店が軒を連ねています。
ここでは「食べ歩きテイクアウト」「飲食店」「お土産」の3つに分けて、主要なお店を一覧でまとめました!

人形焼・たい焼き・せんべい。食べ歩きテイクアウトの定番店

甘酒横丁の食べ歩きといえば、まずはこの顔ぶれ。
どのお店もテイクアウト専門(または店頭販売あり)なので、散策しながら気軽に楽しめます♪

🍡 甘酒横丁の食べ歩きテイクアウト店

店名 名物 創業 定休日 目安
板倉屋 人形焼(手焼き・無添加) 明治40年 日・祝 〜999円
重盛永信堂 人形焼(七福神型)・ゼイタク煎餅 大正6年 日曜(大安・戌の日は営業) 〜999円
柳屋 たい焼き(東京三大たい焼き) 大正5年 日・月曜 〜999円
にんぎょう町草加屋 備長炭手焼きせんべい 昭和3年 日・月曜 〜1,000円
森乃園 ほうじ茶ソフトクリーム 年中無休(年始除く) 〜999円
鳥忠 親子焼き・焼き鳥 明治時代 日・祝 〜1,500円
とうふの双葉 甘酒・豆乳ドーナツ・がんも 明治40年 年中無休 〜1,000円

※営業時間・定休日・価格は変更される場合があります。訪問前に各店の公式情報をご確認ください

甘酒横丁の食べ歩きテイクアウトを3ジャンルに分類した図解。甘いもの(人形焼・たい焼き)、お茶系(ほうじ茶ソフト・甘酒)、惣菜系(焼き鳥・がんも)にカテゴリ分けして紹介
甘酒横丁の食べ歩きは「甘いもの」「お茶系」「惣菜系」の3ジャンルで楽しめます。

なかでも柳屋のたい焼き「東京三大たい焼き」のひとつに数えられる名店。
明治座公式ファンサイトでは「1日1,500個以上売れる」と紹介されており、開店(12:30)前から行列ができることも多いため、時間に余裕を持って向かうのがおすすめです。

重盛永信堂の人形焼は七福神をかたどった定番の銘菓で、中央区推奨土産品にも選ばれています。
実際に編集部でも食べ比べをしていますので、気になる方は重盛永信堂の人形焼を実食レポートした記事もチェックしてみてください!

SNSでは「鳥忠の玉子焼きがマジで美味しい」「ほうじ茶ソフトはめちゃくちゃ美味しい」という声も多く見られます。
甘いもの・しょっぱいもの・お茶系とバリエーション豊富なのが甘酒横丁の魅力ですね♪

ランチ・ディナーにおすすめの飲食店

甘酒横丁の周辺には、食べ歩きだけでなくしっかり座って食事ができる名店も揃っています。

🍽️ 甘酒横丁周辺の飲食店(ランチ・ディナー)

店名 ジャンル ランチ目安 定休日
玉ひで 親子丼・鶏料理 2,000〜3,000円 ほぼ無休
人形町今半 本店 すき焼き・しゃぶしゃぶ 3,000円〜 不定休
芳味亭 洋食(昭和8年創業) 1,500〜2,500円 大晦日・元日
東嶋屋 老舗そば 〜1,500円 日曜
生駒軒 老舗中華 1,000〜2,000円 日・祝

※営業時間・定休日・価格は変更される場合があります。訪問前に各店の公式情報をご確認ください

特別な日の食事なら玉ひで(親子丼の元祖ともいわれる鶏料理の名店)や、人形町今半(1895年創業のすき焼き)が定番。
気軽なランチなら芳味亭の昭和洋食や東嶋屋のそばが、コスパもよくおすすめです!

お土産に喜ばれる甘酒横丁の名品

甘酒横丁には、手土産・お土産にぴったりの逸品を扱うお店も集まっています。

  • 重盛永信堂の人形焼・ゼイタク煎餅中央区推奨土産品。箱入りでお渡し用にも◎
  • 板倉屋の人形焼:無添加・手焼きで素朴な味わい。日持ちは短めなので注意
  • 森乃園の自家焙煎ほうじ茶:極上ほうじ茶175g 1,290円(執筆時点)。お茶好きへの贈り物に
  • 玉英堂 彦九郎の虎家喜(とらやき):天正4年創業の京菓子。甘酒横丁の由来の地ならではの一品
  • 人形町志乃多寿司總本店のいなり寿司:1877年開店の持ち帰り専門店。差し入れにも人気
  • にんぎょう町草加屋の手焼きせんべい中央区推奨土産品。ドラマ「新参者」のモデル店としても有名
甘酒横丁のお土産を用途別に整理した選び方ガイド。職場向け・家族向け・自分向けの3パターンで重盛永信堂の人形焼や森乃園のほうじ茶などおすすめ品を分類
渡す相手に合わせて選べる、甘酒横丁のお土産ガイドです。

人形町エリアのスイーツ・テイクアウトおすすめ記事でも周辺の名品を紹介していますので、お土産選びの参考にどうぞ♪

甘酒横丁の食べ歩きモデルコースと散策の注意点

甘酒横丁の食べ歩きは、人形町駅A1出口から明治座方面へ向かう約400mの一本道がそのままモデルコースになります。
所要時間は食べ歩き込みで1時間〜1時間半が目安です。

人形町駅から明治座まで。おすすめ散策ルート

🚶 甘酒横丁おすすめ散策ルート

  1. 人形町駅A1出口(甘酒横丁交差点)からスタート
  2. 玉英堂 彦九郎で京菓子・甘酒を味見(週末限定)
  3. 板倉屋で手焼き人形焼をテイクアウト
  4. とうふの双葉で甘酒1杯 or 豆乳ドーナツ
  5. 森乃園でほうじ茶ソフトクリーム
  6. 柳屋でたい焼き(行列覚悟!)
  7. にんぎょう町草加屋で手焼きせんべい
  8. 新川屋佐々木酒店で甘酒 or 地酒をひと休み
  9. 明治座または浜町緑道でゴール

食べ歩きの後にしっかりランチを楽しむなら、甘酒横丁を引き返して玉ひで芳味亭に立ち寄るのもおすすめです!

訪れる前に知っておきたい5つのポイント

  • 月曜日は休みのお店が目立ちます:SNSでも「月曜日は休みの店が結構あった」という声あり。食べ歩き目的なら月曜は避けるのが無難です
  • 柳屋のたい焼きは並ぶことが多い:時間に余裕を持って訪れるのがおすすめです。時間帯によっては並びが落ち着くこともあるようです
  • 板倉屋は売り切れ次第終了:午後遅い時間は品切れの可能性があります。早めの訪問がおすすめです
  • 通りは一方通行の車道あり:歩道と車道が分かれているため、食べながらの車道へのはみ出しに注意してください
  • 日・祝はテイクアウト店の定休日が重なりがち:板倉屋・草加屋・鳥忠などは日曜定休。事前に公式サイトでの確認がおすすめです
甘酒横丁を訪れる前に知っておきたい5つの注意点チェックリスト。月曜は休み多い、柳屋は行列覚悟、板倉屋は売切れ注意、車道注意、日祝は定休日重なりがちの5項目
散策前にチェックしておくと、当日スムーズに楽しめます。

平日は比較的回りやすい日が多い傾向です。
週末は人気店に行列ができることもあるため、混雑が気になる方は時間帯をずらして訪れると安心です。

散策タイミングの参考
午前10時〜12時頃は各店を巡りやすい時間帯のひとつです。
桜の季節(3月下旬〜4月上旬)は浜町緑道の桜並木とセットで楽しめるので特におすすめ♪

甘酒横丁へのアクセス。最寄り駅・出口・駐車場まとめ

甘酒横丁の最寄り駅は東京メトロ日比谷線「人形町」駅で、A1出口を出ると甘酒横丁交差点の目の前です。
都営浅草線・半蔵門線・都営新宿線からもアクセスできます。

各駅からの行き方と出口の一覧

🚃 甘酒横丁へのアクセス一覧

路線・駅名 出口 徒歩 補足
日比谷線「人形町」駅 A1出口 すぐ 交差点の目の前。最もおすすめ
都営浅草線「人形町」駅 A3出口 約2分 A1・A2は日比谷線専用
半蔵門線「水天宮前」駅 7番出口 約2分 明治座側(終点)からのアクセス
都営新宿線「浜町」駅 A2出口 約2分 浜町公園・明治座側から
甘酒横丁へのアクセスを4駅分まとめた比較ガイド。人形町駅A1出口が最寄りですぐ、都営浅草線A3出口から徒歩2分、水天宮前駅7番出口から徒歩2分、浜町駅A2出口から徒歩2分
どの駅から来るかで出口が変わります。人形町駅A1出口が最も近いアクセスです。

車でのアクセスと近隣のコインパーキング

甘酒横丁には専用駐車場がありません
車で訪れる場合は近隣のコインパーキングを利用する形になります。

近隣のタイムズ駐車場(甘酒横丁交差点から徒歩1〜2分圏内)
・タイムズ日本橋人形町第15(人形町1-16/8台収容)
・タイムズ日本橋人形町第12
・タイムズ日本橋人形町第8
※都心のため駐車料金は高めの傾向です。料金は変動しやすいため、利用前に現地表示をご確認ください

首都高速からのアクセスは「浜町出口」が最寄り。
出口から直進すると浜町緑道脇に出るので、次の信号の通りが甘酒横丁です。

甘酒横丁で楽しめる季節のイベント・お祭り

甘酒横丁では、春の桜まつりや秋の江戸まつりなど、例年さまざまなイベントが開催されています。
年度によって内容や開催有無が変わる場合があるため、最新情報は公式サイト等で確認してくださいね。

🎏 甘酒横丁・人形町周辺の主なイベント(例年の開催実績)

イベント名 時期 内容
甘酒横丁 桜まつり 3月下旬〜4月上旬 過去には甘酒の無料配布や福引きが行われています
甘酒横丁 ちょっと夜ふかし 8月下旬 物販・飲食・DJ。浜町の盆踊りと連動
粋と艶の江戸まつり 11月中旬 花魁・芸者のステージ、甘酒振る舞いなど
日本橋べったら市 10月19日・20日 約500軒の露店。会場は大伝馬町・本町付近

※開催日・内容は年度により変更・中止の場合があります

甘酒横丁と人形町周辺の季節イベントカレンダー。春は桜まつり、夏はちょっと夜ふかし、秋はべったら市と江戸まつりなど例年の開催実績をまとめたインフォグラフィック
甘酒横丁は季節ごとにイベントが楽しめます(開催有無は年度によって異なります)。

特に桜まつりは、甘酒横丁の終点付近にある浜町緑道の桜並木と合わせて楽しめる、春のお楽しみイベントです。
SNSでも「甘酒横丁桜まつりで下町のお花見」「ノンアル甘酒の無料配布や福引も」と話題になっていました。

秋の風物詩べったら市は甘酒横丁から少し離れた大伝馬町・本町エリアが会場ですが、人形町駅から徒歩圏内。
2025年の日本橋べったら市の開催情報をまとめた記事も参考に、次回の開催をチェックしてみてくださいね。

甘酒横丁に関するよくある質問(FAQ)

甘酒横丁について、よくある疑問をまとめました。

Q甘酒横丁の名前の由来は何ですか?

A.甘酒横丁の名前の由来は、明治初期にこの横丁の入口付近で営業していた甘酒屋「尾張屋」です。当時はこの通りを「甘酒屋横丁」と呼んでおり、それが略されて「甘酒横丁」として定着しました。甘酒横丁商店会の公式サイトにもこの経緯が記されています。

Q甘酒横丁の最寄り駅はどこですか?

A.甘酒横丁の最寄り駅は東京メトロ日比谷線「人形町」駅です。A1出口を出ると、甘酒横丁交差点の目の前に出ます。都営浅草線「人形町」駅(A3出口・徒歩約2分)、半蔵門線「水天宮前」駅(7番出口・徒歩約2分)からもアクセス可能です。

Q甘酒横丁で今も甘酒は飲めますか?

A.甘酒横丁では、執筆時点で甘酒を提供しているお店として「とうふの双葉」「玉英堂 彦九郎」「新川屋佐々木酒店」の3店が確認できました。価格・提供日・営業状況は変わることがあるため、訪問前に各店の最新情報をご確認ください。

Q甘酒横丁の長さはどのくらいですか?

A.甘酒横丁の長さは約400mとされています(甘酒横丁商店会公式・Wikipedia等の記載に基づく)。起点は人形町通りとの交差点「甘酒横丁交差点」(日比谷線 人形町駅A1出口前)、終点は明治座のある清洲橋通り付近です。食べ歩き込みで1時間〜1時間半程度の散策が目安になります。

Q甘酒横丁を散策するのにおすすめの曜日・時間帯は?

A.甘酒横丁の散策は、午前10時〜12時頃の平日が比較的巡りやすいことが多いです。月曜日は休みのお店が目立つ傾向があるため、火曜〜土曜を選ぶと安心です。休業日や混雑具合は日によって変わるため、気になるお店がある場合は事前に公式情報の確認がおすすめです。

まとめ

甘酒横丁の名前の由来は、明治初期にこの横丁の入口で甘酒を売っていた「尾張屋」にありました。
水天宮・明治座・寄席が生み出した人の流れの中心で愛された一杯の甘酒が、この約400mの通りの名前として今も残っています

尾張屋の閉店で一度は消えかけた名前を、「とうふの双葉」の先代が「甘酒横丁の名を残すために」と甘酒の販売を引き継いだエピソードは、この商店街の歴史のなかでも特に印象的です。

現在の甘酒横丁には、人形焼の板倉屋重盛永信堂、たい焼きの柳屋、ほうじ茶の森乃園など老舗・名店がずらり。
食べ歩きも、お土産選びも、歴史散策も、この約400mの通りだけで十分楽しめるのが甘酒横丁のすごいところです。

甘酒横丁を訪れる前のポイントおさらい

  • 最寄りは人形町駅A1出口(甘酒横丁交差点の目の前)
  • 散策は火〜土曜の午前10時〜12時頃が巡りやすいことが多い
  • 月曜は休みのお店が目立つので食べ歩き目的なら避けるのが無難
  • 甘酒はとうふの双葉をはじめ複数の店舗で楽しめる
  • 柳屋のたい焼きは並ぶことが多い。時間に余裕を持って

由来を知ってから歩く甘酒横丁は、きっと景色が少し違って見えるはず。
ぜひ人形町を訪れた際は、甘酒横丁をのんびり散策してみてくださいね♪

甘酒横丁の散策と合わせて人形町エリアをもっと楽しみたい方は、人形町の時間つぶしスポット7選の記事もぜひ参考にしてみてください!

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