日本橋とよだとは
日本橋とよだとは、東京都中央区日本橋室町1丁目にある、1863年(文久3年)に鮨屋台から始まった割烹料理店です。屋台の「天狗寿司」から鮨店と料理屋の2店を経て、1961年からは割烹一筋で、5代にわたり暖簾を受け継いでいます。
創業時の屋号は「天狗寿司」
公式の沿革によると、1863年(文久3年)、魚河岸でにぎわう江戸の日本橋で、14歳の豊田米吉が鮨屋台から商いを始めました。屋台の名は「天狗寿司」。1872年(明治5年)には日本橋石町2丁目に、鮨店「天狗寿司」と料理屋「とよだ」の2店を構えています。当時は鮨店より料理屋のほうが格式が上だったとされ、屋台から始めた米吉にとって大きな一歩だったのでしょう。
この場所は、公式沿革によれば現在の室町3丁目。「石町」の名から今の日本橋本石町を思い浮かべがちですが、店があったのは現在のコレド室町テラスのあたり、大通りに面した角地です。5代目の橋本亨さんは2018年の取材で、1960年まで店は江戸通りの常盤小学校の斜め向かいにあった、と語っています。
1923年(大正12年)の関東大震災で店を失い、1928年(昭和3年)に同じ場所へ建て直しました。東京大空襲では、店に落ちた焼夷弾が不発だったうえ、近くの日本銀行の消防隊が消火にあたり、焼失を免れたと伝わります。
1961年、室町1丁目で割烹一筋に
1961年(昭和36年)、店は現在の室町1丁目へ移り、この時から割烹料理一筋になりました。新しい店を建てる際には、地下から木製の生簀(いけす)が出てきたといいます。公式沿革は、このあたり一帯が日本橋魚河岸の跡地で、魚屋があった証しだと説明しています。
なぜ鮨をやめたのでしょうか。5代目によると、移転先の周辺には魚河岸の名残で鮨屋が多く、「鮨屋が多いところでやってもしようがない」と料理屋だけにしたそうです。
日本橋トピック♪「あかべろべろのしょっぱづけ」とは?
日本橋とよだの公式沿革は、屋台時代に西郷隆盛が立ち寄り、「あかべろべろのしょっぱづけ」を好んで食べたと伝えています。薩摩藩の侍たちがまぐろの漬けをこう呼んだもので、赤い舌をしょっぱく漬けたようなもの、という意味だそうです。冷蔵庫がなく氷も高価だった当時、鮨ダネは酢でしめたものや煮たもの、そして赤身の醤油漬けが中心でした。
日本橋とよだに関するよくある質問
- 「割烹とよだ」と「日本橋とよだ」は同じ店ですか?
- 同じ店です。公式サイトの店名は「日本橋とよだ」で、沿革のページなどでは「割烹 日本橋とよだ」「割烹とよだ」という表記も使われています。
- 日本橋とよだに個室はありますか?
- 公式サイトは、カウンター席に加えて椅子席の個室を案内しています。席の利用条件や空き状況は予約時に店へご確認ください。

