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日本橋通三丁目「猿」の山車とは

日本橋通三丁目「猿」の山車とは、明治中期に日本橋通三丁目が山王祭のために新造した山車です。読みは「にほんばしとおりさんちょうめさるのだし」。旧所有町は、現在の日本橋二丁目・三丁目に当たる町域です。

群馬県渋川市の裏宿町へ渡った山車

人形は松雲斎徳山の作。山車は大正3年(1914年)に群馬県渋川市の裏宿町へ委譲され、今も2年に一度の祭礼で曳き出されています。ただし、載せる人形は日本武尊に変わりました。「猿」の名は、移譲前に載せていた山車人形を示しています。

日本橋トピック♪江戸では四か町で一本の山車

日枝神社の広報誌によると、江戸期の山王祭では、日本橋通の一丁目から四丁目が一本の山車「神功皇后」を使っていました。その通四丁分のうち、明治中期に通三丁目が新しく造ったのが「猿」の山車です。

日本橋通三丁目「猿」の山車に関するよくある質問

山王祭で「猿」はどのような意味を持つ主題ですか?
日枝神社の広報誌『山王』の論考は、猿を山王権現の使いと説明しています。東京都立図書館の解説によると、江戸の山王祭では二番の南伝馬町が、御幣をかついだ猿の山車を出すことに決まっていました。
江戸の山車は、電線で曳けなくなったから地方へ売られたのですか?
日枝神社の広報誌の特集記事で筆者は、そうした理由での譲渡は実際にはほとんど無かったと述べています。多くの町は山車を大切に保管していましたが、大正12年(1923年)の関東大震災で多くが焼失し、それ以前に縁あって譲られた山車が各地に残りました。

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