日本橋小舟町とは
日本橋小舟町とは、東京都中央区にある町名で、読みは「こぶなちょう」。江戸時代、この一帯には荷を積んだ舟が行き交う堀があり、舟運でにぎわった河岸の町でした。今はビルが並ぶ町ですが、4年に一度の勇壮な「天王祭」でも知られています。
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舟と堀の記憶が残る「小舟町」
中央区の説明によると、慶長8年(1603年)の町割りのときは「下舟町(しもふなちょう)」と呼ばれていました。その後、享保5年(1720年)に西側の大船町に対して、こちらを小舟町とするようになったとされています。
町名の「舟」は、かつてこのあたりを流れていた堀にちなみます。荷を積んだ舟が出入りし、河岸はおおいに栄えました。その堀は今では埋め立てられ、舟の影もありません。それでも町名だけが、水辺だった頃の記憶をそっと伝えています。
4年に一度の「天王祭」
小舟町を語るうえで欠かせないのが、小舟町八雲神社の天王祭です。この八雲神社は神田明神の境内にある摂社で、その神輿を小舟町が受け継いでお迎えし、担ぎます。現在は4年に一度の斎行ですが、町をあげての大きな祭りとして大切に守られてきました。にぎやかだった河岸の町ならではの、活気あふれる行事といえるでしょう。
Topicすぐそばは「日に千両」の魚河岸だった
小舟町のすぐ近くには、江戸の台所と呼ばれた日本橋魚河岸が広がっていました。あまりの取引量から「日に千両の落ちどころ」とうたわれたほどの活気で、毎日大量の魚がここで売り買いされたそう。小舟町の堀を行き来した舟も、こうした商いを支えていたと考えられます。今は静かなオフィス街ですが、足元には江戸の経済を動かしたにぎわいが眠っています。
日本橋小舟町に関するよくある質問
- 小舟町の天王祭は神田祭とどう関係していますか?
- 天王祭の神輿を出す八雲神社は、神田祭で知られる神田明神の境内にある摂社です。そのため天王祭は神田明神とゆかりが深く、江戸の大きな祭礼の流れをくむ行事として伝わってきました。
- 今の小舟町に堀や川は残っていますか?
- 現在は埋め立てられ、堀や川は残っていません。かつて舟が行き交った水辺の歴史は、町名の「舟」の字にだけ受け継がれています。
