三股富永町とは
三股富永町とは、隅田川の洲を埋め立ててつくられた、現在の東京都中央区日本橋中洲にあたる江戸期の旧町名です。読みは「みつまたとみながちょう」。現行の行政地名ではありません。
洲の造成から撤去まで
中央区立図書館の『郷土室だより』によると、造成工事は明和8年(1771年)に始まり、翌年に完成。安永4年(1775年)に三股富永町と名づけられました。しかし、寛政元年(1789年)に幕府から取り払いを命じられ、造成地は再び洲へ戻りました。
日本橋トピック♪茶屋93軒が並ぶ繁華街だった
造成地を固めるために水茶屋や大道芸の店が認められ、最盛期には茶屋93軒、湯屋3軒などが並んだといいます。今の静かな日本橋中洲からは想像しにくい、江戸有数のにぎわいがありました。
三股富永町に関するよくある質問
- 三股富永町の「三股」とは何ですか?
- 隅田川が流れを大きく南に変えるあたりで、洲が箱崎川を分けていました。流れが分かれることから、この付近は俗に「みつまた」(三叉・三俣・三股)と呼ばれていました。
- 三股富永町の成立年が1772年と1775年の資料があるのはなぜですか?
- 中央区立図書館の『Jr.中央区文化・歴史ずかん』は1772年に名づけられたとしますが、同図書館の『郷土室だより』第163号は1772年を造成の完成、1775年を命名と分けています。本ページは後者の整理に従っています。

