箔屋町「佐々木四郎」の山車とは
箔屋町「佐々木四郎」の山車とは、江戸の山王祭で箔屋町が用いた佐々木四郎高綱を主題とする山車です。読みは「はくやちょうささきしろうのだし」。箔屋町は、現在の日本橋三丁目にあった旧町です。
宇治川の先陣争いの武者
佐々木四郎高綱は、『平家物語』の宇治川の戦いで、梶原源太景季と先陣を争った武者です。寿永3年(1184年)1月、木曽義仲と、源頼朝が差し向けた源範頼・源義経の軍が宇治川で戦った場面として知られます。日枝神社の広報誌『山王』の論考によると、佐々木四郎は文政7年(1824年)の山王祭の番付で三十一番の主題。山車の姿は、歌川芳藤が描いた立版古にも「箔屋町『佐々木四郎』」の名で残ります。
日本橋トピック♪「腹帯が緩んでいる」で先陣
東京富士美術館の作品解説によると、高綱は先を行く景季に「馬の腹帯が緩んでいる」と声をかけました。景季が帯を締め直すあいだに追い越し、頼朝から賜った名馬生唼(池月)で激流の宇治川を渡りきって、先陣を果たしています。
箔屋町「佐々木四郎」の山車に関するよくある質問
- 名馬「生唼」は何と読みますか?
- 「いけづき」と読み、「池月」とも表記されます。東京富士美術館の作品解説では、佐々木四郎高綱が源頼朝から賜った名馬とされています。
- 箔屋町の佐々木四郎の山車は今も残っていますか?
- 日枝神社の広報誌『山王』の論考は、天下祭の花形だった山車人形の多くが明治以降に失われたと述べています。箔屋町の佐々木四郎は、歌川芳藤が描いた山車の立版古に名が残っています。

