一石橋迷子しらせ石標とは

一石橋迷子しらせ石標とは、江戸時代の終わり、安政4年(1857年)一石橋のたもとに建てられた、迷子や尋ね人を知らせ合うための石の柱です。情報を伝える手立てが乏しかった時代に、人々が貼り紙で助け合う「伝言板」の役割を果たしました。いまも東京都指定の文化財(歴史資料)として、その場所に残っています。

目次

どうやって迷子を知らせた?

石標の左右には、それぞれ違う役割がありました。向かって左は「たづぬる方」。子を捜す親が、迷子の名前や年ごろ、服装などを書いた紙を貼る面です。右は「志らする方」で、迷子を保護した側が、その特徴や預かっている町の名を貼り出しました。貼り紙を通じて、捜す人と見つけた人をつなぐ仕組みだったのです。

スマートフォンも掲示板もない時代に、どれほど心強い存在だったでしょうか。人通りの絶えない橋のたもとに立つこの石標は、いわば街角の情報センターだったのです。

Topic迷子は「町ぐるみ」で守られていた

情報網が発達していない江戸時代、親が子を見失えば、そのまま生き別れになることも少なくありませんでした。そこで町には、迷子を見つけたら町ぐるみで保護し、親へ引き渡すまでの世話を町の費用でまかなう、という決まりがあったといいます。一石橋の迷子しらせ石標は、そんな助け合いの心が形になったもの。人通りの多い橋のたもとという場所選びにも、一人でも多くの目に留まってほしいという願いがにじんでいるのかもしれません。

一石橋迷子しらせ石標に関するよくある質問

一石橋迷子しらせ石標は、いまも見られますか?
はい。東京都指定の文化財として、一石橋の南西のたもと(八重洲一丁目)に今も残っています。実物を間近で見ることができます。
石にはどんな文字が刻まれていますか?
「安政四丁巳年二月 御願濟建之」などの文字が刻まれています。ここから、安政4年(1857年)に建てられたものだとわかります。

あわせて読みたい記事

目次