こんにちは!
とーんと♡日本橋編集部です。
金融の街として知られる日本橋兜町。
東京証券取引所の近くに佇む鳥居稲荷神社は、江戸時代から地域の人々の信仰を集めてきた由緒ある神社です。今回は実際に足を運び、その歴史と魅力に迫ってみました。!
日本橋兜町にある鳥居稲荷神社について【歴史と由来の秘密】
静かな佇まいを見せる鳥居稲荷神社は、享保2年(1717年)の創建以来、300年以上の歴史を刻んできました。当時この地には、鳥居丹波守忠瞭(下野壬生藩主)の上屋敷があり、その庭中に祀られていたことが始まりとされています。
個人的に、金融街に長くある神社ということでお金に関してとてもご縁があるのかなぁ…と考えています。
鳥居稲荷神社の「鳥居」という名前の由来【昭和52年に改築】
神社の名前の由来は、創建当時の地主であった鳥居丹波守忠瞭に因んでいます。徳川初期、この地は鳥居強右衛門の邸宅があり、その庭中に祀られ、代々厚く信仰されてきました。
享保6年(1721年)の大火により上屋敷は移転を余儀なくされましたが、その後、神田塗師町・新銀町・松下町から移り住んできた人々によって大切に守り継がれてきました。当時の人々は神社の奇瑞多く、神徳が顕著であることを実感し、共に力を合わせて社殿を造営したと伝えられています。
■「鳥居稲荷神社の由来」という看板
神社の境内には「鳥居稲荷神社の由来」と書かれた看板があります。
この看板には以下の記述があります。
「昭和二十年三月十日(一九四五)の空襲で社殿を焼失、昭和五十二年(一九七七)町内有志の篤力により昭和五十二年三月二十九日に社殿を改築、現在に至っております。」
そう、現在の社殿は、昭和20年3月10日の東京大空襲で焼失した後、昭和52年に改築されたものです。
この由来の看板に書いてある内容を要約すると以下になります。
鳥居稲荷神社は、東京市史稿によれば享保二年(1717)の地に祀られ、倉稲魂神を主神とし豊受姫神を合祀しています。当初は田畑師町・新銀町・松下町の代地として町屋敷の跡地に鎮座し、その後神田塗師町・新銀町・松下町の人々によって大切に守られてきました。
神社の歴史における重要な出来事として、
1、創建:享保2年(1717年)
2、空襲による焼失:昭和20年(1945年)3月10日
3、社殿改築:昭和52年(1977年)3月29日
について書かれてなり、
現在も毎年1月1日の元旦祭や5月15日頃の例大祭など、伝統的な祭事が継続して行われていると書かれてます(平成13年の看板ですので現在と異なる場合がございます)。
アクセス情報と参拝のポイント【金融街の中心に位置】
鳥居稲荷神社へは、東京メトロ東西線・日比谷線「茅場町駅」から徒歩4分、東京メトロ銀座線・東西線「日本橋駅」から徒歩7分でアクセスすることができます!
東京証券取引所のすぐ北側に位置し、金融街の中心部に佇んでいます。
周辺には、東京証券取引所をはじめ、KabutoOne(複合商業施設)、坂本町公園(都内最古の市街地公園)、みずほ銀行兜町支店(銀行発祥の地)などの歴史的建造物や現代的な施設が立ち並んでいます。
鳥居稲荷神社のまとめ【歴史と現代が交差する神社】
300年以上の歴史を持つ鳥居稲荷神社は、江戸時代から続く由緒ある神社として、今も地域で愛されているのではないかと思います。
日本橋兜町を訪れた際は、ぜひ立ち寄ってみてください!
静かな境内で心を落ち着かせ、江戸から令和へと続く歴史の息吹を感じることができるはずです。
今後もとーんと♡日本橋を宜しくお願い致します!